21世紀初めにはラファエル・マルケスくらいだった海外組もジョバンニ・ドス・サントス、カルロス・ベラの活躍により2005年U-17世界選手権(現U-17ワールドカップ)で王者となった頃から選手の海外流出が増え始め、当時の主力だったリカルド・オソリオ、パベル・パルドらも海を渡った。

それはメキシコサッカー界にとっても新たなステップだったが同時に独自色を保ってきた同国にジレンマを発生させることにもなる。国内組だけで編成されていた時の優れた調和や連携が相殺されていったのだ。2010年大会予選では欧州型への転換を目指したウーゴ・サンチェス、スウェーデン人スヴェン・ゴラン・エリクソン体制化で迷走。2002年大会で指揮したハビエル・アギーレ体制に回帰することでなんとか立て直したものの、結局同本大会も不運な判定にも泣かされベスト16に終わった。

その後もチェポことホセ・マヌエル・デ・ラ・トーレ体制化では彼の神経質な性格が災いしたのか日を追うごとにメキシコらしい自由な動きが失われていき、最終予選で得点が奪えなくなる。その間行われたコンフェデでも良いところなく敗退。チェポ、テナ、ブセティッチと監督が代わり、あと数分パナマが凌いでいれば予選敗退というところで宿敵アメリカの逆転劇に救われる始末であった。