そうは言ってもまだ初戦
そんなわけで、イラク戦のあまりの快勝ぶりに期待を持っていた多くの報道陣は肩すかし、それでも日本が相手だとドン引きになるアジア予選は難しいと思っていた一部の記者は納得の表情、そしてハリルホジッチ監督には少々興奮と混乱が見られたこのシンガポール戦でした。
ただ、圧倒的に攻め込みながら点が取れない日本代表を応援しながらも、記者席の雰囲気はどことなく穏やか。これはスコアレスドローで試合が終わっても、あまり変わらなかったのです。
私がFIFA.comの仕事を請け負った初めてのW杯予選の試合は、南アフリカを目指す2008年2月6日のタイ戦。周りを見渡す余裕はあまり無かったのですが、オシムの病気辞任で再登場した岡田武史監督が4-1と無難に勝って一安心でした。
それがブラジル大会予選の初戦では一変します。2011年9月2日、残暑が厳しい埼玉スタジアムに登場したのは北朝鮮代表(サッカー協会的には「朝鮮民主主義人民共和国」か「DPRコリア」)。いつもの「ほぼ100%がブルー」の雰囲気は、赤いシャツを着たアウェー側が演奏するブラスバンドの音で崩れていきます。何より、南アフリカ大会に出場チーム同士がいきなり激突、「完全敵地」の平壌での勝利はさらに難しく(実際に負けました)、しかも同組に難敵ウズベキスタンもいるので、「2位以内」の条件では引き分けすら厳しいという、強烈な緊迫感がスタジアムに充満していました。
なので、後半アディショナルタイムでの決勝点では大騒ぎになりましたし、終わった後はメディア席のあちこちで安堵の握手が交わされていました。私も手の震えを止めながらFIFA.comにメールを送ったのですが……後でサイトにアクセスしたら、これですよ(苦笑)。
「YOSHIDA」が「YASUDA」になった裏側? RSSSFメンバーインタビュー
https://qoly.jp/2012/10/25/12783-rsssf-interview
それに比べると、シンガポールが全8試合を終えて日本より上に行くと想像した記者はあまりいなかったでしょう。それは「5年後」の話をしたベルント・シュタンゲ監督も同じのはずです。最終的にシリアに勝てば1位は取れる、万が一2位になっても、あの攻撃力なら「8チーム中で成績の良い4チーム」には入れるだろう……というのが、ほぼ共通の見方でした。
そうなると、マスメディアの記者は「編集デスクとの戦い」が待っています。新聞では他のスポーツと紙面を取り合い、多くの民放テレビでは、特に平日は「スポーツコーナー」が一般ニュースの枠内にあるので、盛り上がる状況でないと扱いが悪くなります。
実際、ウズベキスタンで南アフリカW杯出場を決めた後のホーム最終戦、2009年6月10日のカタール戦(横浜国際)では、それまでと比較しても記者の数は少ない印象でした。私自身の記憶も、長沼健元会長の訃報、前試合の退席で「大木ジャパン」をベンチ外から見た岡田監督の冷えた記者会見、1-1の引き分けで本大会への道が絶たれたカタールのブルーノ・メツ監督の清々しさと、ピッチの外の話の方がすぐに出てきます。
なので、破竹の連勝であっさり予選突破を決めるばかりでなく、少し延びてもいいかな?ぐらいの空気は、この日にはありました。もちろんそれは単なるソロバン勘定だけではなく、「これでハリルホジッチ監督もアジアを勝ち抜く難しさが分かっただろう、最終予選の大一番で取りこぼすよりは良かった」という前向きな捉え方もあったのは、多くの皆さんの名誉のために書いておきます。
ただ。
そう思い通りに行かないのが、サッカーなんですけどね……。