当時の南野は自身のアイドルに元スペイン代表ダビド・ビジャを挙げていたが、体格、プレースタイルなどからアルゼンチン代表セルヒオ・アグエロに似た選手であるとも形容されていた。
それは上背はないが低い重心で当たり負けせず、相手最終ラインの裏へ巧みにボールを呼び込み、抜群の決定力を誇るその姿に由来する。
しかし、当時U-17代表の監督を務めていた吉武博文氏(現今治FCトレーニングメソッド部長)は、柿谷、宇佐美を擁しながらグループ敗退に終わった過去から、1人のスター選手よりチーム、「ボランチ10人が理想」というショートパスを細かく繋いで相手を切り崩すバルセロナ式のフットボールを実践していた。
そのなかで個人能力に秀でるものの、パスワークへの過度な参加をあまり得意としていなかった南野のスタイルが衝突してしまったのだ。
結局この大会で日本はベスト8の快挙を達成したにもかかわらず、南野は2試合の先発出場で1ゴールと不本意な結果に終わることとなる。