U-17W杯が行われた翌2012年、南野は2種登録のままセレッソでJデビューを果たし、その翌年にトップ昇格を果たす。

当時のセレッソには柿谷がおり、南野は主に中盤のサイドで起用されたがデビューシーズンで5ゴールとまずまずの数字を残し、「ベストヤングプレーヤー賞」を獲得した。

順風満帆に見えたが、ここでもまた、彼にとっては厳しい試練が襲いかかる。

2014年、クラブは2010年W杯の最優秀選手でウルグアイのレジェンド、ディエゴ・フォルランを迎え、初優勝を目標に掲げた。南野はこの年の4月、W杯本番を控えるアルベルト・ザッケローニ体制のA代表が実施した合宿に10代ながら招集を受けている。本大会のサプライズ選出こそ逃したが予備メンバーに選ばれ、その才能は百戦錬磨の名将をして明らかだった。

しかしセレッソはフォルラン獲得を強行したフロントとチーム内の微妙なズレもあり、開幕から噛み合わず低迷。そんなチームで南野も独善的なプレーを見せ始め、7月にはスイス・バーゼルへ移籍する先輩・柿谷のお別れ試合で退場するなど明らかに苛立ちを募らせてた。

そしてチームが優勝どころか残留争いに巻き込まれていた最中の10月、南野はU-20W杯の予選を兼ねたU-19アジア選手権のためにチームを離れることになる。

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