U-17代表で挫折を味わった南野だが、ジュビロ黄金時代の指揮官・鈴木政一監督率いるU-19代表では再び絶対的なエースに返り咲き、さらに主将としてミャンマーで行われたこの大会に臨んだ。

南野は期待通りの働きを見せる。

グループステージ初戦の中国戦でゴールを決めると、決勝トーナメント進出がかかった宿敵・韓国戦では2ゴールを記録。日本を勝利とグループ突破に導くと同時に、アジア最大の難敵を敗退に葬ったのである。4大会ぶりのU-20W杯出場へ向け、雰囲気は間違いなく最高潮にあった。

しかし、出場権がかかった準々決勝の北朝鮮戦。常に優勢に展開しながら120分で勝負を決められず、PK戦にもつれ込んだ試合で南野は最後のPKを外し、よもやの敗退を喫することとなってしまったのだ。

失意のなかすぐに日本へ帰国した南野はセレッソ残留に尽力したが、結局チームはJ2へ降格。デビュー年度には5ゴールをマークしたが、この年の得点はわずかに2つであった。

そして2015年1月、たび重なる試練に直面した南野は中学入学以来所属してきたチームを離れ、海外移籍を決断することになる。

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