それを実現しているのがビッグクラブの存在であると言える。次に彼らがU-17W杯の前後どのクラブへ所属していたかをまとめたものである。

U-17W杯得点王、W杯前後の所属クラブ

1985年 マーセル・ヴィテチェク(西ドイツ) ロート=ヴァイス・オーバーハウゼン→バイヤー・ユールディンゲン
1987年 ムサ・トラオレ(コートジボワール) リオ・スポーツ・アニャマ→リオ・スポーツ・アニャマ
1989年 フォデ・カマラ(ギニア) リセー・グベシオン→サン・ニクラス(1991年より)
1991年 アドリアーノ(ブラジル) グアラニ→ザマックス(1992年より)
1993年 ウィルソン・オルマ(ナイジェリア) ベンデル・インスランス→ランス(1994年より)
1995年 ダニエル・オールソップ(オーストラリア) クロイドン・シティ・アローズ→サウス・メルボルン
1997年 ダビ(スペイン) レアル・マドリー→レアル・マドリー
1999年 イスマエル・アッド(ガーナ) ハーツ・オブ・オーク→ハーツ・オブ・オーク
2001年 フロラン・シナマ=ポンゴル(フランス) ル・アーヴル→リヴァプール
2003年 セスク・ファブレガス(スペイン) バルセロナ→アーセナル
2005年 カルロス・ベラ(メキシコ) グアダラハラ→アーセナル
2007年 マコーリー・クリサンタス(ナイジェリア) ハーツ・オブ・アブジャ→ハンブルガーSV
2009年 ボルハ・バストン(スペイン) アトレティコ・マドリー→アトレティコ・マドリー
2011年 スレイマヌ・クリバリ(コートジボワール) シエナ→トッテナム
2013年 ヴァルミール・ベリシャ(スウェーデン) ハルムスタッド→ローマ
2015年 ヴィクター・オシメーン(ナイジェリア) ー

2000年まではU-17の選手が引き抜かれることは多くなく、あってもプロキャリアを始めるために移籍程度のものであった。

2001年以降は得点王になった選手はすべからくビッグクラブへ引き抜かれている。多くはそのままユースチームや他チームへレンタルに出されている。

こうした流れは、移籍金の高騰や外国人登録制限から逃れるためのものだ。若いうちから青田買いをして移籍金を抑え、また成長すれば莫大な売却益を得ることもできる。さらに言えば、ユースチームからプレーしていれば外国人枠にひっかからない、もしくは早いうちに第二国籍を取得させることもでき自国の選手と同じように使えるというものだ。

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