MFサンティアゴ・ソラーリ/引退
"Siendo jugador, pensaba como entrenador": Santiago Solarihttps://t.co/WwRvyJA3fN pic.twitter.com/rX4S2HivCU
— DIARIO RÉCORD (@record_mexico) 2016年4月4日
このアルゼンチン人レフティは、1999年1月にリーベルからアトレティコへ移籍。チームは降格の憂き目にあうも、ビセンテ・デル・ボスケによって宿敵レアル・マドリーへと引き抜かれた。
移籍1年目にリーガのタイトルを獲得すると、2002年のCL決勝では90分間ピッチに立ち続け欧州制覇に貢献。バーサタイルな存在として、重宝された。
その後はインヘルへ移籍し、2010年に引退。現在はマドリーのユースでコーチを務めている。
DFフアンフラン/現アトレティコ
33 - Juanfran menjadi pemain Atletico Madrid yang paling banyak tampil di laga #UCL. Senior. pic.twitter.com/Kmb8jhKVli
— OptaJaya (@OptaJaya) 2016年5月27日
レアル・マドリーには多くのフアンフランがいたが、ここで紹介するのは現在アトレティコのレギュラー右SBとなっているフアンフラン。
もとはレアル・マドリーのカンテラ出身で、テクニカルなドリブルを武器とする期待のウィングであった。だが、マドリーでプロデビューも出場機会を得られず、オサスナへと移籍。
これがきっかけとなり、リーガでも屈指のサイドプレイヤーへと成長を遂げた。その後、シモン・サブローザの後釜としてアトレティコに引き抜かれるも、そこでも失格の烙印を押されかける…。
だが、ポルトガル人DFシルヴィオの負傷により、シメオネ監督によってサイドバックにコンバートされると、20代後半にして再ブレイク。スペイン代表としても定位置を確保し、今に至る。