ダニエレ・デ・ロッシ

「いつも気づいていたよ。自分のキャリアは、プロとして『間違ったもの』であったと。

利他的主義によって、シャツやファンへの愛情によって選択された…と書かれているのを読むことがあるが、それは一部でしかないんだ。

それ以外はとても利己的な選択だった。なぜなら、僕はローマでプレーする必要があったからだよ。

身体的にも、感情的にも、このシャツを来てプレーすることで喜びを得てきた。

ここを離れようと考えていたある年、僕は涙を浮かべながらピッチに足を踏み入れた。周りを見回して考えたのは、『ああ、これがオリンピコでの最後の試合になるかもしれない』ということだった。

その瞬間、僕はローマなしでは生きていけないんだと理解した。

レアル・マドリー対バルセロナの試合でプレーできないこと、イングランドのもっとも美しいスタジアムを経験できないことよりも、僕を傷つけるものだったんだ。少なくとも、僕はそう見ていた。

33歳になって、僕は悟りの境地に達したよ。多くの勝利を得られなかった、世界を旅しなかったことを、穏やかに見られるようになった」

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