たしかに、アジアの縮図は変わりつつある。
アジアサッカーのピラミッドにおいて、上位に君臨し続けた韓国の苦戦ぶりも代表例だが、各グループ共に上位3~4チームに力の差は感じられなくなってきた。
さらに言うと、今回、日本の前に立ちはだかったイラクなど、数試合を残した段階で予選突破の望みを絶たれているところですら、いずれも一筋縄ではいかない相手ばかりだ。
「世界最速」でW杯出場を決めていた時代から、その状況が変ってきていることは間違いない。
だが、「とは言え」だ。
W杯出場を終着点に設定している国であれば、順調に勝ち点を重ねているだけで御の字だが、日本代表のその先を目指すべき集団だ。
その彼らが、サポーターを含め、周囲に不安感しか与えない出来を見せていては話は変ってくる。
彼らには「先制点を守りきる」、もしくは、「追加点を重ねて勝利する」ことが求められただろう。少なくとも今予選で一勝しか上げられていない相手であればなおさらだ。
いつからか、彼らは「強者のサッカー」とは縁のないスタイルに落ち着いたのだろうか。
ハリルホジッチ監督が目指すスタイルは存在するのかもしれないが、それがかえって、「スケールダウン」に繋がっているのではないかとさえ思う。
「やはり、監督は気にしてしまう。そこに違和感があったとしても評価されれば良しの面があるから。求められるものが、仮に自分の思っているものと違ったとしても、それに応えなければならないし、限られた時間で応えられるのが代表選手だと思う」
以前、とある選手がそのように語っていたことを今でもはっきりと覚えている。
日本代表に呼ばれる選手であっても、与えられたチャンスで指揮官の思いに応えられなければ、すぐさま外される世界だ。
そして、一度押された失敗の烙印は極めて重い。クラブチームと違い、代役候補を無数の中から選べる代表チームでは、その重さは比較できないだろう。
だが、試合に出場する選手の多くがそのような“束縛”や一種の“やり辛さ”を感じてしまっているのであれば、それは間違ったチーム作りではないのだろうか。
仮に予選を突破したとしても、壊さなくてはならない壁はいくつもありそうだ――。