ミシェル・パンセ・ビロング

J所属クラブ:サンフレッチェ広島(2002)

1998年フランス・ワールドカップに出場したカメルーン代表の巨漢DF。欧州では「ミシェル・パンセ」だが、日本では「ビロング」が登録名だった。

ヴァレリー・ニポムニシの推薦で広島の指揮官となったロシア人ガジ・ガジエフは極端にフィジカル志向な人物で、その彼の誘いによりJリーグへ。その圧倒的な体格と長い手足、身体能力は見る者を驚嘆させた。

だが同時に既にピークを過ぎていたのか、スピードの無さと粗雑さも致命的であった。ガジエフの旧ソ連的な戦術がチームと全く合致しなかったこともあり、広島はこの年クラブ史上初の2部降格を経験。ビロングも1年でチームを去り、サポーターには暗黒期の外国人として記憶されている。

なお、広島を去ってからはしばらく無所属であったが、2005年にイングランドの下部リーグで復帰し、その後引退している(編集部H)。