「祖母の店で配達をしていたよ。毎日6000ペソ(212円)を稼いだ。4000ペソ(141円)は母への食べ物に。1000ペソ(35円)は弟におもちゃを買って、1000ペソで練習の後の水を買った。
バス代はなかったから、トラックが赤信号で止まるのをまって、その後ろに飛び乗っていた。冷たい雨が降っているときは恐ろしかったよ!滑ってしまうかもしれないからね。
もし母がそれを知っていたら、家から出さなかったかもしれないね!
練習では、いつも最初に到着して、最後に帰ったよ。いつもチームを成長させたかったからね。
監督は僕に尋ねていたよ。なぜ他の子供と一緒にいないのかと。大人と一緒にいたがるのかと。
僕は本当のサッカーをしたかったんだよ。同じ年齢の仲間が欲しいのではなく。それだけが僕の目標だった。プロにならなければいけなかった。母のために」
(バルセロナではうまく行かなかったし、ワールドカップでは怪我をしてしまったね?)
「ここで話されていることは本当の苦しみではないと思うよ。故郷で父や親戚が経験していること、そしてあの地域の人々が毎日苛まれているものとは比較できない。
白い線を踏み越えたら、マスクを着けるようなものなんだ。ピッチ上に友達はいない。そうでなければならないんだ。
もし父親相手にプレーすることになっても、僕はやっつけてやるよ。申し訳ないが、僕はそうするね!」
ちなみに、同じく貧困の中で育ち「アイス売りをしていた」というブラジル人FWリシャルリソンとは非常に仲がいいとのこと。