2002年に行われた日韓ワールドカップ。

韓国は史上初めて準決勝に進出したが、イタリア戦、スペイン戦では物議を醸す判定が話題になった。

特にイタリア戦で主審を務めたエクアドル人のバイロン・モレノはその後に資格停止になったうえ、2011年にはヘロイン密輸で有罪判決まで受けている。

そのモレノが『Fútbol sin Cassette』で当時を振り返った。

バイロン・モレノ

「自分はいくつかの間違ったジャッジをしたかもしれない。だが、謝るようなことは何もない。

私はトッティを1枚のカードで退場にしたかもしれないが、韓国側にひとつではなく2つのPKがあった。

同じシーンのなかでだ。ココとパヌッチによるファウルがあった。私は2つ目のほうしか見ていない。

あの試合について、私は自分自身に8(点?)を与えたよ。

ココの流血はガットゥーゾとの接触によるもので、韓国選手とのものではなかった。

マルディーニの頭部への蹴りについては、目の前に多くの選手がいたので、彼のことを見ることがとても難しかった。

トッティ(が倒されたシーン)はPKではなかった。韓国選手がボールに触れた後に選手(トッティ)に接触したのを見た。

私と副審はダイブだったと思った。

確かにイタリアのオフサイド(で取り消された)ゴールは認められるべきだった。だが、自分が立っていた場所からどうやってそれを決定することができたかね?

副審が私に伝えなければいけなかったんだ。彼はフラッグを上げたので私はそれに従った」