言葉の問題もあったが、鈴鹿アンリミテッドFCは、エンブレムに「守備の強固さ」をイメージさせる盾がデザインされているように、前年までは堅守を軸とした手堅いチームだった。
そこからミラ監督はスペイン流のパスサッカーと日本人の特徴を活かした攻撃的なサッカーの導入を試みていたため、チーム戦術が固まるまでに時間を要した。
ただ、意外とベースとなる最終ラインからのビルドアップや中盤での巧みなパスワークは早い段階でチームに落とし込まれていた。
攻撃面ではシーズン開幕当初から不足は感じさせていなかったし、実際にそうだったからこそ、筆者もミラ監督とチームに強い関心を持った次第だ。
※ミラ監督が指揮を執る鈴鹿アンリミテッドの選手たち。
しかし、得点は奪えても、なかなか勝点が奪えない。前半からボールを保持して60分頃までは小気味良いパスサッカーで攻め立てるも、セットプレーからの失点が多かったり、試合終了間際での失点による勝点のロスが続いた。
それでもチームの雰囲気は明るく、選手たちからは、「もっとミラとコミュニケーションをとりたい」という声が上がっていたようだが、それはコミュニケーション不足なのではなく、「もっとミラのサッカーを教えてほしい」という貪欲な気持ちから出たもの。
この傾向は1995年に名古屋グランパスエイトの監督に就任した名将アーセン・ヴェンゲル氏も当時を振り返った自身の著書『勝者のエスプリ』(日本放送出版協会)に書き綴っていた。
夏にはフィジカルコーチとしてラファエル・オテナ氏、GKセルヒオ・アレナスが新たに加わった。2人ともミラ監督が現役時代や指導者として12年間を過ごした古巣アルバセテ・バロンピエに在籍していた旧知のスペイン人である。クラブがミラ監督を信頼している証だ。
言葉の問題は小澤通訳とJ屈指のムードメイカー=岡山コーチがコミュニケーターとして奔走し、徐々に解消。ミラ監督自身も日本語の習得や日本への適応に熱心で、尚且つ選手たちからの意見を積極的に聞くタイプの指導者だったこともあり、シーズンが進むごとにチームは成熟していく。
セットプレーのトレーニングを担当する岡山コーチの指導は、シーズン前半戦で課題だったセットプレーからの失点を減らし、逆に後半戦はセットプレーからの得点が増えた。