岡田武史が来る以前のFC今治
宮崎:岡田さんの体制になる前と後で、運営のスタンスで大きく変わったことってありますか?忙しくなったというのは確かにそうだと思いますが。
青木:はい。スタンスというか環境が“激変”しました。僕はもともと“株式会社ありがとうサービス”という会社の社員だったんです。この会社がFC今治というサッカークラブを持つことになって。
――それはいつ頃ですか?
青木:2012年ですかね。
――今治が愛媛FCリザーブだったところを、その社長さんが買われたということですかね?
青木:そうですね。当時は「愛媛FCしまなみ」というチーム名で、愛媛FCのセカンドチームみたいな立ち位置でしたが、株式会社ありがとうサービスが引き受けて、FC今治というチームを立ち上げたんです。その時は3人からのスタートでした。
それが2012シーズンで、その年にいきなり天皇杯でサンフレッチェ広島に勝っちゃって…。ジャイアントキリングを起こしてちょっと有名になったんですね。
それで、次の相手が町田ゼルビアだったのですが、広島戦の勝利に今治市も盛り上がってバスツアーをやることになり、そこで「お前、手伝え」ということで僕が手伝いをしたんです。そこで初めてFC今治と関わるようになりました。
FC今治の1年目は「しまなみスポーツクラブ」という、地元の体育施設を管理運営しているNPO法人が運営をしていました。
だから僕が実質的に運営に関わるようになったのはFC今治の2年目、2013年からですね。
宮崎:じゃあ広島戦のジャイキリがなかったら今は…。
青木:たぶん関わってないと思いますね。バスツアーのお手伝いをやったのがきっかけだったので。
宮崎:ジャイキリはやっぱりいろいろ変えるんですね、選手だけじゃなくて。
青木:でも僕は実は全然サッカー自体には興味なくて(笑)。仕事もそれまで総務とか経理をしてたんです。それが全然やったことのないサッカーの運営に携わることになって。
やることも全然分からなかったんです。体制がどうこうじゃなくて、やらないといけないことをやる。それこそ大会やリーグの出場に必要な書類を出す。国体に遠征するときは宿泊や飛行機の手配をする。
ホーム戦の運営の時は、まずは競技運営ができないといけないのでそれをやるのが精いっぱい。集客とかそこまでのことを考えられるレベルではありませんでしたね。
宮崎:え、それをお一人でやられていたんですか?
青木:運営スタッフは僕だけでした。あとは下部組織のコーチがいたので、僕とコーチでなんとかやっていたと。