あの岡田武史がくる

――その頃からですよね。結果としてはいきなり優勝、優勝、優勝と。それまで成績はそれほど良くなかったのに、2012年から急に。

青木:はい、四国リーグの中では強かったです。木村(孝洋)監督のおかげだと思います。

ただ、2013シーズンの1年間は正直本当にきつかったんです。これはもうやばい。いくら地域リーグとはいえ、このまま一人でやっていたらクラブが潰れるだろうと。それで2013シーズンが終わった時に「もう辞めます」と言いました。辞めて「塾の先生になります」みたいな感じで(笑)。

ただ、後任がいる状況でもありませんでしたし、1年間でできなかったことがたくさんあったし、何より一緒に一年間戦ってきた選手ともう少し頑張りたいという気持ちもありました。なのでもう一年は続けるということになり、自分自身もあと一年は頑張ろうという気持ちになりました。

そして2014シーズンが始まったわけですが、今度は夏くらいになって「岡田(武史)氏がオーナーになるらしい」と言う話が出てきました。

サッカーに詳しくない僕ですが、もちろん岡田さんのことは知っていました。実は『株式会社ありがとうサービス』の井本雅之社長と岡田さんは早稲田大学の先輩・後輩の関係なんです。

でも、僕は「岡田さんが来ても関係ないです。辞めます」みたいな感じでした(笑)。ありえないことだと思いますけど、自分もあの時は頑固になっていたんだと思います。

実際、岡田さんが来てから仕事量は膨大になりました。今まで僕が一人でやっていた最低限のことに加え、岡田さんが来たことでメディア対応も増え、他にもいろんな話がどんどん舞い込んできますから。

そんな時に僕の後任としてやってきたのが、現在の社長の矢野(将文)さんです。

矢野さんは東大卒でゴールドマン・サックスに勤務していたという経歴を持つ人です。なので後任に決まった時は、「すごい人がくるな」という感想でした。

それから岡田さんの就任のニュースが流れた日に初めてお会いし、「プレスリリースってどうやるの?」というところから始まって一週間くらい一緒に引き継ぎの仕事をしたんですが、それが面白かったんですよ。

宮崎:「この人となら」と?

青木:はい。すると、矢野さんからも「もう1年やってくれないか?」と(笑)。僕も矢野さんと仕事をしたいという想いがあったので「頑張ります」と答えました。

なかなかこの今治で、そういう一流のビジネスマンと一緒に仕事をする機会はないと思うので、そこから学べるところが多いなと感じました。

岡田さんが来る以前は、本当に最低限のことしかできていませんでした。自分の中ではあれもしたいこれもしたいという想いはあるんですが、お金も人もいない状況だったので。

でも岡田さんがやってきて、本来なら会えないような人が普通に岡田さんに会いにきたり、ありえないプロジェクトが持ち込まれたり…。そこは“激変”しましたね。

宮崎:一気に可能性が広がる動きだったんですね。

青木:はい。岡田さんが来る前はお客さんも選手の家族や友達が数十人で、好カードの試合で200~300人きたら「よく頑張った」みたいなそういう時代だったんです。

それが岡田さんがオーナーになって、四国リーグの開幕戦が約900人、最終戦では約2,000人だったんです。僕からしたらちょっとあり得ない光景でしたね。

正直それまでは「集客をする」という発想があまりなくて、今治の人でもFC今治のことを知らない時代でしたから。