ライバルクラブに移籍することを、サッカー界では“禁断の移籍”と表現する。
かつてバルセロナのカンテラに所属した久保建英は、昨夏バルセロナの宿敵であるレアル・マドリーに移籍するという驚きの決断を下し、今季カンプ・ノウでの試合でブーイングを受ける場面もあった。
禁断の移籍はそれほど大きなプレッシャーがかかるもの。しかしそんな中でも“裏切り”を大成功へと変えた選手もいる。
今回はそんな選手たちをご紹介しよう。
ロビン・ファン・ペルシー
アーセナル→マンチェスター・ユナイテッド(2012年)
オランダ史上に残るストライカーも“禁断の移籍”で物議を醸した。
小野伸二が在籍したフェイエノールトで頭角を現した頃はウィングだったが、ヴェンゲル監督のアーセナルで点取り屋としての才能を開花させ、2011-12シーズンには30ゴールで得点王に。
にもかかわらず翌シーズン、覇権を争うマンチェスター・ユナイテッドへ電撃移籍。大エースの裏切りにサポーターは怒り狂い、彼の名前が入ったユニフォームを焼くと言う儀式まで行われた。
しかしファン・ペルシーは初年度から26ゴールを決めて2年連続で得点王に輝くなど、いきなりプレミアリーグ制覇の主役となっている。
クラレンス・セードルフ
インテル→ミラン(2000年)
オランダ代表で活躍したレジェンドは、ミラノにある2つのメガクラブに在籍した。
アヤックス、レアル・マドリーでCL制覇を経験した万能MFは、1999-00シーズンの冬にインテルへ移籍。しかし当時のインテルは“暗黒期”であり、輝きを放つことはできなかった。
すると2002-03シーズンに同じサン・シーロを本拠地とするミランへ。この移籍はフランチェスコ・ココとのトレードであったが、彼のサッカーキャリアを大きく変えることとなる。
同シーズン、自身3度目のビッグイヤーを獲得したセードルフは、異なる3クラブでCLを制覇したサッカー史上唯一の選手となった。