マリオ・デ・カストロ

おそらくサッカーファンにとってもあまり聞いたことがない名前であろうが、歴史上でも最高クラスの選手だった。アトレチコ・ミネイロで過ごしたわずか5年のプロキャリアで100試合に出場し、195ゴールを決めた。

ブラジル代表にも1度だけ選出されたが、ライバルのボタフォゴにいるカルヴァーリョ・レイチのサブだったために拒否している。

1931年の州選手権最終節、前半は0-3だったが後半にマリオ・デ・カストロが4ゴールを決めて逆転優勝。そのお祝いの際、相手であったヴィラ・ノヴァのファンがアトレチコ・ミネイロのディレクターに射殺される事件が発生し、彼は抗議の意を込めて現役を引退しているという。