マリオ・デ・カストロ
⚽ O ARTILHEIRO DO TRIO MALDITO!#HojeNaHistóriaDoGalo: no dia 30 de junho de 1905, nascia Mário de Castro, o terceiro maior artilheiro da história do Atlético! O atacante vestiu apenas o manto alvinegro em toda a carreira e obteve uma média de 1,95 gols por partida. pic.twitter.com/OIXTmSZlJL
— Atlético 😷 (@Atletico) June 30, 2020
おそらくサッカーファンにとってもあまり聞いたことがない名前であろうが、歴史上でも最高クラスの選手だった。アトレチコ・ミネイロで過ごしたわずか5年のプロキャリアで100試合に出場し、195ゴールを決めた。
ブラジル代表にも1度だけ選出されたが、ライバルのボタフォゴにいるカルヴァーリョ・レイチのサブだったために拒否している。
1931年の州選手権最終節、前半は0-3だったが後半にマリオ・デ・カストロが4ゴールを決めて逆転優勝。そのお祝いの際、相手であったヴィラ・ノヴァのファンがアトレチコ・ミネイロのディレクターに射殺される事件が発生し、彼は抗議の意を込めて現役を引退しているという。