サッカー界に様々な伝説を残したアルゼンチンの英雄、ディエゴ・マラドーナが11月25日に亡くなった。

そこで、Qolyが以前、コスミック出版社の「サッカーベストシーン」シリーズに提供したマラドーナのクラブヒストリーを4回に分けて特別掲載する。今回は第1回。


1960年10月30日、ブエノスアイレス郊外のビジャ・フィオリートで、ひとりの男児がこの世に生を受けた。名前はディエゴ・アルマンド・マラドーナ。8人兄弟の5番目として生まれた彼は、貧しい生活を送りながらも、父ドン・ディエゴ、母トタのもとで逞しく育っていった。

彼にとって初めてのボールは、3歳のときに従兄弟からもらった革製の1号球。小さいころから友達とサッカーに明け暮れ、学校やおつかいへ行くときも、常にオレンジなど丸いものを転がしながら出かけた。

毎日が“戦い”だったフィオリートでの日々。マラドーナにとっては、サッカーをすることが、唯一の安らぎだった。

マラドーナは1969年、アルヘンチノス・ジュニアーズに入団。彼の加入した、60年生まれの子どもたちを集めたチーム、セボジータスは無敵の強さを誇った。だが、未来のスーパースターを有名にしたのは、ボールボーイを務めた1軍の試合でハーフタイムに行っていたリフティング。その類まれなボールコントロールはファンの間で話題となり、全国的な新聞やテレビ番組でも取り上げられた。

その後、セボジータスとともにアルヘンチノスの9軍に上がったマラドーナは、2年半という驚異的な早さで1軍まで駆け上がり、16歳の誕生日を10日後に控えた1976年10月20日、ホームでのタジェレス戦でデビュー。その2週間後のサン・ロレンソ戦では初ゴールを記録した。