大学でブランク後に復帰「喉が血の味をしている」
――ところがサッカーを一度辞めたと聞きました。
はい、高校サッカーで燃え尽き症候群みたいな感じになりました。そこで、もう1つの夢だった福祉の道に進みたいと思いそちらの大学に進みました。実は高校時代も福祉科に所属していました。サッカー部は普通科に行く生徒がほとんどなので、福祉科は2人だけでしたけどね。
たまたま、大学二年生の時に後輩の試合を観に行ったら、周りがサッカー時代の知っている人だらけだったんですよね。高校時代の他校の監督から「なんでお前サッカー辞めてるんだ」とガチギレされて、関東学園大学の練習に参加してこいと言っていただけました。
すぐに関東学園大学の練習に参加しました。本当にいい人たちで、すぐに受け入れてくれました。何年も一緒に過ごしているような感覚もあり、すぐに編入を決めました。
ただ、2年のブランクで走れなかったですね。走れないのに試合に出され続けて喉が血の味をしている、というか。そうやってしごかれましたね(笑)。後に先生に伺うと「昔からプレーは知っていたし、試合に出し続けて体力が戻れば問題ないから、出し続けよう」という荒療治だったそうです。
新規の大学だったので下部リーグから始まって最後の年にインカレに出場し、全国3位という結果を残し活躍したことでサッカー選手になることができました。
――どこのチームでプレーしていたのでしょうか?
AC長野パルセイロ、県リーグを経てスフィーダ世田谷、バニーズ京都とプレーしました。バニーズ京都ではなでしこ2部だったのですがはじめて関西でプレーしました。
試合に出場させていただいたのですが、歳を追う毎に、サッカー人生の中でもピークの動きにイメージに追いついていかないこと。ポジショニングでそれを補っている自分に気が付きました。元から30歳までには男性になりたいと思っていた事もあり、治療期間も考えて27歳で引退しました。