ロベルト・バッジョがどういうプレーヤーだったのか。詳しくは分からない。

1994年に行われたアメリカW杯での「伝説のPK失敗」は物心のつく前だったし、その後のプレーも見ていない。現在でこそ世界中の試合がリアルタイムで観られるようになったが、あの頃はまだそのような時代ではなかった。

ただ、彼が当時世界最高峰のリーグと言われたセリエA、そして世界屈指のスタープレーヤーであることは子供なりに知っていた。

大勢の人混みと大量のグッズ。その中央にある宝物が詰まったガラスケース。今でも目を瞑るとその光景が鮮明に思い出される。もう二度と味わえないが、私の心の中にずっと残っている思い出――。

あれは2000年の1月だったか。私の住む宮城県仙台市は年始にどの店舗も豪華な景品のついた福袋を売りに出す初売りが全国的に有名である。

私の家族も“街”(仙台の人は市中心部のことをそう呼ぶ)へ繰り出し、様々な店を見てまわった。

「学区外の地域へは危険なので小学生のみで行ってはいけません」と先生から言われていたので、街へ行くのは当時の私達にとって一大イベントだった。しかも今日は初売り。朝からウキウキ気分だったのを覚えている。両親がお目当ての店を一通りまわり、いよいよ私と兄がお気に入りのお店へ向かう時が訪れた。

当時小学生だった私と兄はサッカー少年団でプレーしていたが、お互いにサッカーをプレーするよりもサッカーの情報を知ることに関心があった。毎週発売される某有名サッカー雑誌を買っては国内外のサッカー情報を知り、まだ見ぬ世界に夢を馳せていた(ちなみに兄は国内派で、私は海外派)。

そんな私達が目指したのは「ワールドスポーツプラザ仙台店」。サッカーを含め、世界中のスポーツグッズが一同に揃う。我々にとって女の子でいうディズニーランド、夢の国のような場所だった。