2002年に行われた日韓ワールドカップ。韓国が決勝トーナメント1回戦でイタリアを2-1で破ったのは、ちょうど20年前の6月18日だ。
試合を終わらせるゴールデンゴールを決めたアン・ジョンファンはその直後にペルージャから解雇されるなど一躍時の人になった。
また、ダミアーノ・トンマージのゴールデンゴールを取り消し、フランチェスコ・トッティを退場にしたバイロン・モレノ主審の判定も大きな物議を醸した(彼はその後、職務停止を経て引退。引退後の2011年にはヘロイン密輸で服役)。
【動画】即解雇…アン・ジョンファン、嫌われ者になった遺恨ゴールシーン
イタリアにとっては悪夢から20年となるなか、アン・ジョンファンが『La Gazzetta dello Sport』のインタビューに応じた。
アン・ジョンファン(元韓国代表FW)
「あの試合では地獄から天国を同時に味わった。
自分にとっても、韓国にとっても、特別な試合だった。
誰も我々がイタリアを破るとは思っていなかった。
今でも人々はレフェリーの判定を話題にする。我々の準備やプレーに目を向けるべきだ。
フース・ヒディンク監督が我々をフィジカル的にもメンタル的にも強いチームにしてくれた。我々は誰のことも恐れていなかった。
我々は常にレフェリーの判定を尊重してきた。それは最終的なものであり、取り消すことはできない。
モレノがミスを犯したかもしれない事実があるにしても、VARなしでは全ての笛が問題だった。
もし、自分たちにとって痛い結果になったとしても、全てを受け入れた。
我々はイタリア戦のために入念に準備をしたというのが事実。全選手を細かく分析していた」
「自分はペルージャ退団を強制された。
ガウッチ会長がもう給料は払わないと宣言した。あのゴールデンゴールでイタリアサッカーを台無しにしたと言われた。
あらゆることがあったけれど、後悔はしていない。
今日、全てのイタリア人に言いたいのは、もうこれ以上自分のことを嫌いにならないで欲しいということ。
韓国選手として、国のために戦っただけだ。誰かを痛めつけたかったわけではない。
イタリアで自分はとてもうまくやっていたし、誰よりもハードワークをしていた。
W杯のイタリア戦ではゴールでファンの信頼に応えたかっただけだ」