サッカー選手はもっとよくものを知るべきだと言われるが、なぜもっとよく知らなければならないのか。
俺は15歳で学校を辞めた。自分は世間知らずでバカな人間だと思った。
酒もギャンブルもやりたくなかったが、もし、そうやってお金を失ったのなら、もっと自分に優しくなれるかもしれない。自分でやったことなら、すぐに修正しようと取りかかることができたはずさ。
そのせいで人を信じられない。誰かを信用したとたんに、こんなことになる。
心の底では、正しくないとわかっていたのに、それに立ち向かいたくなかった。どう向き合えばいいのかわからなかった。『もし、ここで間違っていたら、もうお手上げだ』と思っていた。
コーチとして何をやっているのかわかっているのは幸運だ。サッカー的には問題ない。
でも、もしそうでなかったらと想像してみてくれ。もし、サッカーに関わりたくないと思っていたなら。どこに行けばいいのか、何ができるのか、どんな人生を送れるのか。
暗い憂鬱な気分になって、自殺願望を持ち始めたら、その時が来る。
現役引退を楽しむべきだった。これまでの怪我や仕事は...何のために?信頼していた人間に、あんなことをされるためにか?
暗い考えがかなりよぎった。でも、自分で病気になっているのだから、怒りは捨てなければいけないと気づいた。
決して酒に溺れなかったこと、俺にとてもよくしてくれる親しい友人に恵まれたことには感謝している。
そこにヴァンサン(コンパニ)が突然現れた。俺はまだ健康状態が良くなかったので、他のことを引き受ける用意ができていなかった。
暗い考えや暗い瞬間がよぎると悪くなるときがある。準備ができていなかった、まずは自分自身を管理することを学ばなければいけなかったからね。
立ち上がって、仕事を続けなければならないことは分かっていた。
進み続け、働き続ければ、きっと大丈夫。仕事を続け、それに徹すれば、何か素晴らしいことが起こると。
俺はそれを信じ込んで、自分を洗脳した。いまバーンリーにいて、自分の好きなこと、得意なことを仕事にできていることが、どれだけ幸運なことなのかは分かっている。
そして、今、チームはリーグトップに立っていて、俺は自分の仕事を愛している。すべての後に、素晴らしいことが起こっているんだ。
現在、バーンリーは2部で首位に立っている。
ただ、コンパニはトッテナムの新監督候補になっており、彼がいなくなった場合、鬱を抱えているベラミーがどうなってしまうのかは少し心配だ。