イタリア発の株式化!栄光と挫折
90年代に入ると変革期に入った。1992年に大手食品会社チリオのセルジョ・クラニョッティオーナーがクラブ会長に就任。イングランド代表のテクニシャンMFポール・ガスコインらを積極補強してチームの強化が進んだ。
そして1998年にイタリアのサッカークラブで初めて株式を上場し、資金調達に成功。史上最古クラスのプレースキッカーMFシニシャ・ミハイロヴィチ、人間ブルドーザーFWクリスティアン・ヴィエリらより強力な選手補強を実行し、1998-99にUEFAカップウィナーズカップ(UEFAヨーロッパカップ(EL)の前身)の制覇、1999-00シーズンに2度目となるスクデット獲得に成功した。
全盛期のラツィオは下部組織出身のイタリア史上最高峰のDFと語り継がれるアレッサンドロ・ネスタ、ミハイロヴィチ、バルセロナ出身のパスマスターMFイバン・デ・ラ・ペーニャ、ポルトガル代表FWセルジオ・コンセイソン、攻守にいぶし銀の活躍を見せたMFデヤン・スタンコヴィッチ、ヴィエリ、闘牛士と称された左利きの点取り屋FWマルセロ・サラス、魔法使いと形容されたテクニシャンMFフアン・セバスティアン・ベロン、世界屈指の潰し屋MFディエゴ・シメオネ、ペナルティーエリアで違いを発揮するFWロベルト・マンチーニと錚々たるメンバーが揃っていた。
一時はセブンシスターズ(イタリアの強豪7クラブの敬称)の一角として一時代を築き上げたが、ビッグネームの獲得に多大な資金を使ったため財政面がひっ迫し、オーナー企業の業績悪化やイタリア国内のサッカーバブルが弾けるなどして、財政が悪化した。
そのためクラブシンボルだったネスタのミラン放出など、多くの主力が流出。2部降格の憂き目には合わなかったが、長い期間に渡って中位を漂う中堅クラブと化してしまった。