――スコットランドで決めた初ゴールはその中村選手からのパスで決めましたね。あのゴールを今振り返ってどうですか?

あのゴールに関してはもう俊さんですね。前半、俺はボールに全然触れなくて。だから俊さんから「俺が持ったら全部走れ」って言われたんです。

その通り走ってたら、後半になってボールをこっち側に出してくれて、自分の中でだいぶリズムができていました。あの場面も言われた通り俊さんが持った瞬間に走り出して、そしたらピンポイントのスルーパスがきて点が取れたんです。

本当にもう嬉しくて、サポーターのところに行ってから俊さんのところへ走っていこうと思ってたら、チームメイトのみんなに捕まって(笑)。

(元ポーランド代表)アルトゥール・ボルツなんかキーパーなのに、相手のゴール付近にいる俺のところまで走ってきて抱き着きにきてくれました。それが一番嬉しかったですね。

――セルティックでは残念ながらあまり出場機会を得られませんでした。今だから思うことはありますか?

当時各国代表レベルの選手が集まっていて、中盤は4人ともスコティッシュ・プレミアリーグのMVP取った選手がズラリと並んでいました。

また向こうのリーグ特有のルールで、18人のメンバーの中にU-21以下の選手を3人入れなきゃいけないっていうのもあって、なかなかメンバーに入れることは少なかったんです。

でもその中でも…少ない中でも、試合に出てる時はやれてる感はすごくあったんですよね。チーム内の競争に勝てなかったんですけど、それも行かなきゃ絶対分かんない感覚ですし、そこで自分のストロングポイントとかウィークポイントとかっていう部分も掴めました。

世間的には「移籍失敗」「日本にいたらもっと良かったのに」という声も聞きますけど、自分の中では成功でしかないですね。それは強がりだとかそういう部分ではなくて、多分何をするのもやってみなきゃ分からない(笑)。僕はそういう人間なんで。

安牌を選ぶんじゃなくてあえて険しい道を選ぶほうが好き。自分の中では本当に今言ったように成功です。

――ちなみにヨーロッパで別の道みたいなのは考えなかったんですか?

ありましたよ。ありましたし、代理人とも色々話もしました。

ただ年齢的にはまだ24歳だったので一度日本に帰って、「もう一回日本で華を咲かせてから海外に行くというのも一つの手」だと代理人と話していて。

自分もそっちのほうがいいかなという想いがあり、日本に帰ることになりました。

――近年セルティックでは何人もの日本人選手がプレーして活躍してますけど、それを見て感じることは?

単純に凄いなと。素晴らしい選手たちが行って活躍していますね。

ただステップアップの場としてもっと良いクラブに今後行ってほしいなという気持ちはあります。