「サッカーに縁がなさそう」なアメリカ留学がきっかけで起業

――その後は悩み抜いた末にアメリカへの語学留学を決断されますが、どのようなきっかけがあったのでしょう?

僕がモデルをやっていた頃に、英語を流暢に話せる方とたくさん接したことが理由の一つに挙げられます。

「英語を話せるようになりたいな」と思って、語学留学を真剣に考え始めたんですけど……。英語圏とはいえ、イングランドのようなサッカーが盛んな地域を選んでしまったら、「サッカー選手だった頃の自分とあまり変わらないんじゃないか?」と思って、そのときにサッカーと一番縁が遠そうに感じたアメリカに留学することを決めたんです。

でも、実際にアメリカに行ってみると、公園でサッカーボールを蹴っている人は意外に多くて……。(苦笑) 野球やバスケットだけではないことにも驚かされました。

――アメリカではどのように英語を学ばれたのですか?

まずはアメリカのロサンゼルスにある、英語を第二言語とする生徒向けの語学学校に通うことにしたんです。

でも、最初は英語力が順調に伸びていったんですが、しばらくすると頭打ちになってしまって。「もしかすると、このまま大して英語を話せないまま帰国することになるのでは……」という不安を感じるようになりました。

――どのように不安を拭い去ったのでしょう?

ロスで半年くらい過ごした頃に「もっとネイティブスピーカーの人たちと交流したい」と思うようになり、現地の大学に通うことにしたんです。

最初はアメリカ人のコミュニティに入っていくことに対して、言葉をはじめとするさまざまな壁を感じていましたが、僕にとって大きな転機になったのは、大学で受講したサッカーの授業でした。

ある日、大学でサッカーの授業を受けていた時に「残り5分しかないから、最後にゴールを決めた生徒に成績を加算する」と言われると、僕はつい本気になってしまって。自分が得意としていたフェイントを織り交ぜながらシュートを放ったら、選手時代も決めたことがないような凄まじいゴールが決まったんです。

「現役の頃に打ちたかったな……」と思いつつも(苦笑)、試合を終えた僕の元には色々な人がゾロゾロと寄ってきて、そこから友達がどんどん増えていくようになりました。

授業のあった日から、アメリカ人のクラスメートが僕に積極的に話しかけてくるようになって、ネイティブの友人と楽しい日々を過ごす中で、これまでとは比べものにならないスピードで、英語も上達していきました。

中村さんは自身の未来が拓けたアメリカ留学の魅力をさまざまな場所で若者たちに伝えている

――中村さんが考える英語を話すためのポイントはありますか?

日本語を英語に変換してアウトプットしても間に合わないので、一般的に言われる「英語脳」を作ることがとても大切だなと感じました。

そして自分自身が驚くようなスピードで英語が話せるようになっていく状況を体感して、「自分の得意なことを活かした留学するのは、語学力を伸ばす良い方法なのでは?」と思うようになりました。

――アメリカへのサッカー留学というビジネスのアイデアは、どのように思いついたのでしょうか?

友人に自分がプロサッカー選手だったことを話すと、友人から大学で行われるサッカーの試合に誘われるようになりました。

実際に試合を観にいくと、大学のトップリーグにあたるNCAAの選手たちは、キャンパス内にあるプロ顔負けのスタジアムで試合をしていたんです。その様子を見たときに。感動や興奮の入り混じった気持ちにさせられて……。

実際に彼らの試合を見ているとうちに、「日本でプレーしている選手たちを連れてきたら、新たな可能性が広がるんじゃないか?」と思うようになったんです。