仙台大ではプロになる同期と切磋琢磨
仙台大では同期にMF松尾佑介(J1浦和レッズ)、MF岩渕弘人(J2ファジアーノ岡山)、1年後輩にはMF嵯峨理久(J2岡山)、GK井岡海都(J3ガイナーレ鳥取)と優れた選手が在籍しており、後にJリーガーとなる選手たちと切磋琢磨して選手として大きく成長した。
3年次に吉野はレギュラーに定着し、中盤の底で豊富な運動量を生かしたボール奪取や対人守備で仙台大の攻守を支えた。
――仙台大は振り返っていかがでしたか。
「仙台大はご存じだと思いますが、松尾、岩渕、嵯峨と、いまでもプロで活躍している人たちがいる中で多くの刺激をもらいました。自分の中ではいまにつながりますが、ソニー仙台FCでサッカーをやろうと思ったきっかけがあります。
自分が大学3年次のインカレ(全日本大学選手権、2回戦)で筑波大と対戦しました。そこで三笘薫(プレミアリーグ・ブライトン)にボコボコにやられました(苦笑)。それでも三笘にはまだ余裕がありました。三笘一人に圧倒されて、こういう選手がJリーグに行くんだなと思いましたね。それがあってソニー仙台FCでJFL優勝を目指すことを決めました。『プロに行こう』という考えはそこでやめました」
――1997年生まれ世代は三笘選手以外にもすごい選手がいましたもんね。
「自分の代のデンソーカップでも明治大の安部柊斗(ベルギー1部モレンベーク)、筑波大の高嶺朋樹(ベルギー1部コルトライク)もいましたね。明治の三冠時代が自分の代でした。夏に総理大臣杯で明治大と対戦しましたけれど、そのときも明治はベストメンバーではありませんでした。松尾が1点取りましたが、ひっくり返されて1-2で負けて…。衝撃を受けましたね。仙台大のときは本当にすごい相手と対戦していたと思います。そのときは勝てると思ってやっていたんですけどね」
――同期からはどのような刺激を受けましたか。
「松尾しかり、岩渕しかり、ストイックな選手が多かったですね。仙台大には寮がないので一人暮らしという環境でしたが、その中でも食生活や、練習に取り組む姿勢は違いがありました。ひたむきに頑張る姿勢というか。『仲間のために』じゃないですけれど、『試合に出たらやってやろう』と思わせてくれる仲間でした。一緒に目標に向かってやれたことは大きな財産になっていると思います」
――ボランチで組んでいた同期の鈴木大貴から多くを学んだと以前仰っていましたね。
「いままで一緒にやってきたチームメイトの中で『1番うまい』、『サッカーを知っている』と思う選手です。同期ですごく尊敬している選手でしたから、大貴から盗めるものは全部盗もうと、2ボランチの隣でサッカーをしながら思っていました。大貴とサッカーをやっていく中で一緒のチームメイトでやれたことは、いまサッカーを続けられていることにつながっていると思います」
――他の同期だとブリオベッカ浦安DF藤岡優也がJFLで戦っていますね。
「サッカーに対する情熱、熱量は藤岡もすごく高いです。藤岡には浦安が当時関東リーグにいたとき、そのリーグカテゴリーでもサッカーを続けたいという情熱がすごかったです。チームに対する気持ちや恩返しするという気持ちは自分と似ているところがあると思います」
――後輩にもプロになった選手がいます。彼らから受けた刺激はありますか。
「嵯峨理久は頑張るところですね。先輩に対しても言うことは言うし、『やれよ』という話によくなりました(笑)。自分たちの代で嵯峨理久がキャプテンをやっていましたが、嵯峨の取り組む姿勢にはすごく感心しました。尊敬していた部分があります」
――松尾選手は横浜FCでの特別指定選手で素晴らしい活躍をしていましたよね。
「もちろん松尾からも刺激を受けました。当時J2でこんなにできる選手と一緒にサッカーをしていることが幸せだなと思いましたね。プレースタイルは全然違いますけれど、学ぶことはたくさんありましたね」