元アルゼンチン代表のストライカー、マルティン・パレルモがボンボネーラとボカ・ジュニオルスのファンに別れを告げた。

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12日、ホームのボンボネーラでバンフィールドを迎えた1戦に金色の背番号9をまとって出場。1-1の引き分けに終わり、パレルモ自身はゴールを奪う事ができなかったが、試合終了後にはファンに向けてスピーチを披露。さらにはファンの用意した「SUPER MARTIN」のマントを身に纏った姿を披露した。パレルモはクラブ史上最多236ゴールを挙げており、19日のヒムナシア戦(アウェー)が現役最後の試合となる。

パレルモのホームラストマッチにはアル・ワスルの監督に就任したばかりのディエゴ・マラドーナも駆けつけ、ボカの英雄であり自身が監督を務めた2010年ワールドカップ予選で窮地を救ってくれた後輩を労った。

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パレルモは地元の名門であるエストゥディアンテスでデビュー。ボカ・ジュニオルスへ移籍すると1997年9月14日のインディペンディエンテ戦でデビュー。すぐさまゴールを奪って勝利に貢献した。翌年の前期リーグでは19試合で20ゴールを奪い得点王を獲得。1999年にはキャリア100ゴールを達成した。ボカの選手としては歴代4位の403試合に出場。14のタイトルを獲得し、奪った236のゴールはクラブ記録である。得点王になったのは1998年の前期リーグと2007年の後期リーグである事をふまえると彼が如何に安定して結果を残したかが証明されるだろう。ホームのボンボネーラでは193試合に出場し、129ゴールを奪っている。

2001年にはリーガ・エスパニョーラに挑戦するもコパ・デル・レイのレバンテ戦でスタンド最前列の壁が崩壊する事故に巻き込まれてシーズンを棒に振ってしまう。ベティス、アラベスとスペインを渡り歩くも大きな結果は残せず2004年にボカに復帰した。

パレルモと言えばアルゼンチン代表での伝説が忘れられないだろう。1999年のコパ・アメリカのメンバーに代表初招集されたパレルモ。大会では3得点を奪ったが、コロンビア戦ではPKを3本外すというサッカーの歴史に残る珍事を残した。

以降は代表と疎遠になるが、2009年5月にワールドカップ予選に苦しむマラドーナ代表監督によって招集を受けると、9月の親善試合ガーナ戦で2得点を奪う活躍。さらには10月のワールドカップ予選ペルー戦の後半ロスタイムに決勝ゴールを奪いチームを窮地から救った。2010年のワールドカップメンバーにも選ばれ、グループリーグ第3戦のギリシャ戦に出場し、初めてのワールドカップでゴールを奪った。

「PKを3本外した男」としての汚名や、2008年に右膝十字靱帯を負傷した事など、パレルモのキャリアは順風満帆ではなかった。しかし、幾多の試練を乗り越えた精神力が、37歳までピッチでプレーする事を可能にし、ワールドカップ出場、ワールドカップ初ゴールというご褒美を与えてくれたのではないだろうか。

(筆:Qoly編集部 N)

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