1月11日、スポーツ朝鮮紙のチョン・ヨンジ記者が、Kリーグへの復帰が決定した韓国代表FWイ・グノに単独インタビューを行っている。一部を抜粋して紹介したい。

Keunho

2011年はJリーグで15ゴール11アシストを記録したイ・グノ。「良いプレーが出来ているうちに韓国に復帰したかった」と話し、合宿地のグアムに旅だった。

「キム・ホゴン監督が良い言葉をかけて下さった。心から私を求めてくれたと感じた。蔚山は優勝を狙えるチームだし、ACLにも出場できる。良い挑戦になると思う。キム・ドンデ代表とソン・ドンジン副団長がとても温かく迎えてくれた。クラブの助けを借りて、母と一緒に住める家も見つけたよ」

― キム・スンヨンの存在は2%くらいは影響した?

「3%くらいにはならないかな?(笑) スンヨンとは小学校からの友人であり、ライバルであり、高校ではツートップを組んだ。日本で『韓国に行くときは一緒だ』と冗談で言っていたけど、現実になったよ」

「ガンバ大阪では溢れるほどの愛を受けた。去年優勝を逃したのがつくづく残念だよ。結局優勝する夢を叶えることが出来なかった。甲府との試合(おそらく仙台の間違い)で決勝ゴールをあげ、清水戦では2ゴール1アシストと集中力を見せることが出来た。しかし、新潟と引き分けたのが痛かった。チョ・ヨンチョルのせいだね(笑)」

― ペク・ソンドン(磐田)やチャン・ヒョンス(FC東京)など若い選手がJリーグに移籍しているが?

「若い韓国人選手がJリーグに直行することは、冒険であり挑戦だ。簡単じゃない。近い国だし似ているようだけど、外国であり、外国人だ。同じ実力では生き残れない。『競争力がなければ、そして私が成功しなければ、後輩に道を作れない』と責任感を持たなければ。日本の監督が我々に求めるのは、韓国人特有の根性だ。チームが困難なときに、戦ってくれることを求めているからね」

「後輩たちが上手くやってくれることを願うよ。個人的にはKリーグで経験したことが力になった。言葉が通じないJリーグにすぐに行くのは大変だったが、韓国で培った自信が大きな助けになったからね」

「みんなが最も心配してくれたのは2010年ワールドカップの落選だったが、本当は欧州移籍が破談になったことの方が辛い記憶だ。欧州進出に向けては、心身ともに準備が出来ていた。それが破談になって、目標を失い、喪失感が大きかった。ショックで自信が低下し、調子が悪くなった。 だから、ワールドカップは行けなくて当然だったんだ」

― スランプをどうやって克服したの?

「復調するためには練習しかない。ほとんどの人は肯定的な気持ちの面を述べると思うが、私はまず体の方の準備を先に整えなければいけない。そうすれば自然に自信は出てくるんだ」

― 軍隊の問題もあるから、蔚山で現役引退をすることになる?

「引退だって?(苦笑) 走ることが出来れば40歳までやるよ。辞めたいという気持ちがない。サッカーが大好きで、生まれ変わってもボールを蹴りたい。選手になれたことは最高の幸せなんだ」

(筆:Qoly編集部 K)

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