岡野さんの6年後

時間は戻って、多くの記者に囲まれた時に言われたのは、東大の大先輩である竹腰重丸氏にこの満員の光景を見せたかったという思いに続けての、その寂しさ。

「一緒に仕事をした多くの人が亡くなってしまいました。松平さんに古橋さんも。サッカーだって、メキシコ組は鎌田君しかいません。」

バレーボール協会会長の松平康隆氏、日本水泳連盟の古橋広之進会長は、岡野さんと共にJOCで活動してきました。この日の聖火ランナーには、1964年東京五輪の女子バレーチーム「東洋の魔女」から谷田絹子さんと松村好子さん、それに「今日は大地が大地を走ります!」という冗談を飛ばしたソウル五輪の金メダリスト、鈴木大地・現日本水連会長も。 東京五輪に出場した時のメンバーでは、「レジェンドホワイト」監督だった鎌田光夫さん(古河所属のDF)と川淵さんがいましたが、確かにメキシコ組は2人以外の姿がありません。八重樫茂生主将や宮本征勝選手・森孝慈選手などが鬼籍に入り、長沼さんも2008年6月2日、ドイツ大会予選のオマーン戦(横国)の日に77歳で亡くなりました。

考えてみれば、それでも横山謙三氏や松本育夫氏がいるはずでしたが、なぜか不在。釜本邦茂氏は「ライトショー」でシュート弾道を再現されただけでした。

「僕ももう82歳になりました。2年前に肺ガンが見つかって治療しましたが、いつ再発するか分からないですし。」

2002年W杯後にJFA会長職を川淵氏に譲っても、IOC委員や新設された東アジアサッカー連盟の初代会長として、岡野さんの激務は続きました。2011年にIOC委員が定年になり、「岡埜栄泉」の実務をようやく六代目(息子さん?)に任せて落ち着けるかと思った矢先の病気でした。

「東京五輪が開かれる2020年、僕は89歳になります(実際には閉会式後の誕生日で)。そこまで元気で過ごせるんでしょうか。」

ただ、それを聞いた記者団からはまだ大丈夫ですよ、もうお元気になられたじゃありませんかという励ましが集まりました。

この日の聖火ランナーのトップは、3大会で金メダルを5つ取った体操の小野喬が83歳でさっそうと登場していました。

それに、南ヴェトナム戦の記事を書いた賀川浩さんは、ご自身にとって2大会ぶりのW杯現地取材のためにブラジルへ向かう事が既に報じられています。前回は治安を懸念して見合わせましたが、まさにその89歳で「大会最高齢記者」を更新されます。

産経ニュース2014年6月1日付
「現役最年長サッカー記者・賀川さん、W杯10回目 過去の熱狂語る 神戸」
http://sankei.jp.msn.com/region/news/140601/hyg14060102120001-n1.htm

そう考えれば、岡野さんもまだまだお若いです。

これからもお元気で、どうか新しい国立競技場で2020年の五輪を見届けて頂きたいと、私からも願っています。

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