2002年大会の南米予選。大怪我による怪物ロナウド不在により不調に陥り、ワールドカップ始まって以来の連続出場が途切れる窮地に立たされていたブラジル。そのブラジルを途中就任から救い、本大会では怪我から復帰したロナウド、リヴァウド、ロナウジーニョの「3R」を融合させ、ブラジルに最多5度目の優勝をもたらしたのがフェリポンだ。

フェリポンはその後、フィーゴ、ルイ・コスタらスーパースターを抱えながらA代表の国際大会では全く結果を残せていなかったポルトガル代表の指揮官に就任すると、今やアルゼンチンのリオネル・メッシと並ぶ世界最高の選手にまで成長したクリスティアーノ・ロナウドを代表デビューさせ、自国開催となった2004年欧州選手権(以下ユーロ)でギリシャに敗れたものの準優勝という快挙を達成。さらに2006年大会でベスト4、2008年ユーロでベスト8と、ポルトガルを一流国に押し上げていた。

CBF(ブラジルサッカー連盟) は自国開催での優勝という任務を、「勝者の監督」として名声を得ていたフェリポンに託したのだ。

就任会見で自国での優勝を「義務」だと言い切ったフェリポンは、就任から僅か半年で迎えたコンフェデレーションズカップ決勝で前回大会の王者にしてユーロを連覇していたスペインを破りセレソンを優勝に導く。ブラジルに自信を取り戻させ、再び優勝候補の筆頭へと押し上げることになったこの優勝により、僅か半年でチームの骨格と戦い方は固まったが、一方でそれはカカやロナウジーニョら古株の入る余地がこの時点ほぼ閉ざれることを意味していた。