南米唯一のポルトガル語圏で、移民や奴隷などの歴史的背景により様々な民族が混在するブラジル。

サンバの国、灼熱の太陽と開放的なビーチ、魅力的な女性、そして世界最大の日系人社会を構成することで我々にとって所縁の深い国だが、最も有名なのはやはりサッカーにおいて他ならない。しかし今日では「サッカー王国」として広く知られる彼らも最初からその名誉ある称号を授かっていたわけではない。

第2次世界大戦直後に行われた1950年第4回ブラジル・ワールドカップ。自国開催での初優勝を誰もが疑わず、事実上の決勝戦が行われるマラカナン・スタジアムには20万人の大観衆が詰めかけたが、ブラジルは初代王者ウルグアイに逆転負けを喫すると、悲しみに暮れた観客や国民には自殺者や失神者が相次いだ。

これがいわゆる『マラカナンの悲劇』だが、この試合結果に落ち込む父親を見ていた9歳の少年が8年後、17歳にしてチームの主役となりブラジルを初優勝に導く。 それが1908年に日系人が初めて到着した港町のクラブ、サントスが生んだ“王様”ペレだ。ペレはそれからドリブルの魔術師ガリンシャやセルジオ越後氏からエラシコを学んだというリヴェリーノらスター選手と共に母国を牽引。1962、1970年と3度のワールドカップ制覇を成し遂げ、ブラジルを王国の地位へと導いたのである。

そして1994、2002年大会でもロマーリオ、ロナウドの活躍によりトロフィーを掲げ最多5度の優勝という事実がサッカー王国としての地位を揺るぎないものとした。