-アルゼンチンに来た理由、キッカケを教えて下さい。

飯沼氏: 『子供の頃からレドンドやベロンなどを筆頭に好きな選手が多いのがアルゼンチンでした。日本で指導者になってから、「元プロサッカー選手でもない。世界も知らない。この先も指導者を続けていくうえでそれでいいのか?」という気持ちがずっとあって、「観光や短期ではなく現地で生活をして、その国の文化を感じながらサッカーの勉強がしたい」と思う様になりました。知人を通して留学会社の方を紹介して頂き、2013年1月よりアルゼンチンで指導者の勉強をスタートさせました。』

-留学前、周囲の方々の反応はどうでしたか?

飯沼氏:『周囲の反応は正直冷ややかだったと思います。当時は日本の大手サッカースクールにも就職していましたから、「大好きなサッカーで飯が食える」その環境を捨ててまで行く価値があるのか?家族、友人、同僚、当時の彼女、みな心配していたと思うし、退職しての留学には反対されました。』

-苦労したのですね。周囲の反対を押し切ってまで来たアルゼンチン。多くのクラブが存在する中、何故ラヌースだったのですか?アルゼンチン5大クラブ(ボカ、リーベル、インデペンディエンテ、サンロレンソ、ラシン)には含まれません。

飯沼氏:『環境面ですね。「クラブ・アトレチコ」としてのクラブの在り方に感銘を受けました。「いつか自分の出身である埼玉県杉戸町にもラヌースのようなクラブを創りたい!」と素直に思いました。

サッカーだけでなく、バスケやホッケーチームなども所有し敷地内にスタジアム、幼稚園、学校、選手寮が併設されている。ただ単にサッカークラブというのではなくラヌース市に住む子供から大人までみんなが気軽に通うことが出来て地元に根付いている。ボカやリーベルなどに比べれば規模は小さいですが、そんなラヌースが大好きで、このクラブに関わりたいと思いました。

次にトップチームの存在があります。監督のバロスケロット氏。指導者として、彼の練習を間近で見れることは非常に大きかったです。僕が来た時点で既に良いサッカーをしていたし、去年は実際にスダメリカーナのタイトルも取りました。彼の目指すサッカースタイルもラヌースの大きな魅力です。

育成クラブとしての魅力も是非、伝えたいですね。ジュニアからトップまでみんなが同じ敷地内で練習し、子供達が練習しながらトップが使用するスタジアムが見て「俺もいつかあそこのスタジアムでプレーしたい!」と子供が夢を描くのは当然だと思います。アルゼンチンに来てから多くのクラブ施設やスタジアム、練習に足を運びましたが、その中で一番好きなのがラヌースです。』

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