アフリカを席巻した盟主の長き低迷期

1990年に自国開催のアフリカネイションズカップで優勝を果たしたアルジェリア。そのほかにも、80年からの5大会で優勝1回、準優勝1回、3位が2回、4位が1回という圧倒的な力を見せていた。

この時代のエースはラバー・マジャール。FCポルトで長く活躍した「魔術師」の名を持つヒールキックの名手であり、今なお同国史上最高の選手と名高い。

(アルジェリアの英雄ラバー・マジャール)

彼が引退したのが91年。このあたりからアルジェリアは長い低迷期を経験する。ワールドカップは86年大会の出場を最後に予選敗退を続け、アフリカネイションズカップでも準決勝に進めない日々が続く。

2006年にはアンゴラやジンバブエ、ガボンの、2008年にはギニアの後塵を拝してアフリカネイションズカップ予選すらも突破できなかった。このころ、アルジェリアの名前は国際舞台からすっかり消えていたのである。

それが変わったのは2007年10月。2008年アフリカネイションズカップ予選敗退後、ジャン・ミシェル・カヴァッリ代表監督が解任された。

その後任として選ばれたのが、この時すでに62歳になっていた大ベテラン監督ラバー・サーダヌ氏である。

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