ペレスが初めて会長に就任した2000-01シーズン、フラヴィオ・コンセイソンに2500万ユーロ、ムニティスに1300万ユーロを費やすなど、7選手の獲得に計に1.255億ユーロを捻出した。
その後、フラヴィオ・コンセイソンはドルトムントへのローンを経てガラタサライへフリーで移籍、ムニティスも同じくラシン・サンタンデールへのローンを経てデポルへフリーで移籍していった。
その後、Galáctico時代の3シーズンは全ての選手が利益をもたらした。たが、2004-05シーズンには再び失敗となった。
2500万ユーロのサムエル、2000万ユーロのウッドゲイト、1200万ユーロのオーウェン、冬には340万ユーロでグラヴェセンも補強した。トータルで6000万ユーロが無に消えた(全く回収できなかったわけではない)。
ウッドゲイトは怪我の影響で2シーズンでプレーできたのは893分だけ。結局、ミドルズブラに960万ユーロで売却された。ベルナベウでブーイングを浴びたサムエルは、インテルに1800万ユーロで売り渡した。45試合で17点を記録したオーウェンについては、ほぼ倍額でニューカッスルへと売却された。
2005-06シーズンには、専門家の意見を聞くことなく、ペレス自身が選手獲得に乗り出すものの、知識に欠けることが明白となる。シシーニョ(800万)、ディオゴ(600万)、パブロ・ガルシア(450万)、カッサーノ(550万)を含め、計9600万ユーロを投下。
シシーニョはローマへ放出になり、ファンと監督に望まれなかったディオゴは12試合のみの出場へサラゴサへ。ガルシアはローンを経て、PAOKへ。そして、カッサーノは5ゴールと220万ユーロの損失を残して、サンプドリアへと去った。