しかし、グエン・トゥアン・アインのサッカーへの情熱は想像以上のもので、ズン氏も仕方なく一人息子の挑戦を応援することにした。
同選手は11歳の時、HAGLアーセナルJMGアカデミー第1期生のセレクションに合格。単身で故郷から遠く離れた南中部高原地方ザライ省で寮生活を始めることになった。そして、ここで後の盟友「ベトナムのメッシ」ことグエン・コン・フオンら「HAGL黄金世代」の面々と出会うことになる。
「HAGL黄金世代」についても説明が必要かもしれないので、補足しておこう。彼らは2014年までのU-19ベトナム代表で主力となったメンバーで、HAGLから実に7割のメンバーが代表に選ばれた。
フランス人監督(HAGLアーセナルJMGアカデミーとU-19代表の監督を兼任)のもと、それまでのベトナムサッカーの常識を覆すパスサッカーを展開し、ベトナムのサッカーファンに衝撃を与えた。最初の衝撃は、東南アジアの大会でU-19オーストラリア代表を5-1で破ったことだろうか。とにかく、それ以降、彼らは「黄金世代」と呼ばれ、国民的アイドルとなっていった。
グエン・コン・フオンや他の第1期生と比べても、グエン・トゥアン・アインはアカデミー入学当初から遥かに優れたテクニックを持っていた。突出した技術に驚いたチームメイトやコーチからは、「ベトナムのロナウジーニョ」と呼ばれた。
このニックネームは今でもたまに使われることがある。他の多くの者が貧しい家庭の出身で、サッカーを唯一の成り上がる手段と考えていた中、裕福な家庭出身の同選手は、純粋にサッカーへの愛情だけで、プロ選手を目指しており、やはり異色の存在だった。