ボヤン・クルキッチ

「あの時から状況は変わった。オサスナ戦までの間、僕はめまいを感じ始めていた。

試合の前、ホテルでめまいに襲われた。監督は僕をラインナップに入れて、スタメン起用した。

やらなければならなかった。バスで僕はドクターに調子の悪さを訴えた。彼はカフェインの錠剤をくれて、僕はいい試合ができた。

家に帰ったが、僕は低血圧に襲われてベッドに倒れこんだ。そして、突然震え始めて発作は始まったんだ。

僕、そして父と母にとって、とても緊張する出来事だった。彼らは僕を病院に連れて行ってくれて、そこで一夜を過ごした。あの時から、僕は毎日めまいに襲われた。

非常に強い不安障害だった。コントロールすることができなかった。僕の体は限界まで緊張していた。いくつかの薬で緩和させなければならなかった。

僕は非常に敏感な男だった。多くの影響を受けていた。多くの理想が渦巻くサッカー界に生きていた。

ビッグチームでプレーするというインパクトは、多くの物事を変化させた。ビッグプレイヤーに囲まれて、そして点を取る。それは何よりも重要なものだった。

そのプレッシャーが僕にのしかかっていた。コントロールできると考える人もいるだろうが、できないんだ。

大丈夫だと感じる時もあった。継続的に薬を服用した。特に試合や練習の時にはね。

EURO2008はとても難しい状況だった。でも、同時にとてもはっきりしていた。これが限界だと。

試合に行くごとに緊張して意識を失っていた。ルイス・アラゴネスは、ある日招集する前に電話をかけてきた。

彼は僕を招集する意図を伝えてきた。僕も行きたいと言った。17歳の選手にとってはEUROに出られることはとんでもないことだ。

しかし、僕は無理だと伝えた。

『僕は薬を飲んでいるんだ。EUROには行けない。もう限界なんだ』と」

【次ページ】「僕には強さがなかった」