「わかったふり大国」

これは人間が物事に対して取るべき態度の問題だ。

わからないのならば、それを認めた上で「例え間違っていても、最も影響が少ない選択肢」を取るべきであるし、自然と誰もがやっていることだ。

しかし、わからないままカードを出す決断をして、「わかったふりをして」平戸を退場させた。そのためにJリーグは不評を買い、弁解を余儀なくされ、大きなコストを支払うことになった。

例えばイエローも出さずにファウルだけの判定にしていたらどうなったか?ただ「家本、カード出せよ!」だけで済んだ話である。

ただ、これは社会全体がそういう状況になっていることへの違和感だということは明言したい。家本主審の能力に対する批判ではないし、彼が十分に経験と目を持ったレフェリーであることは分かっている。しかし、そのような審判が「わかったふり」をせねばならない社会への提言だ。

テレビを見ていれば分かるだろう。道を聞いても適当に答えられるような国と同じく、日本も紛れもなく「わかったふり大国」である。

タレントが政治や事件を語り、ある専門家に別の分野のコメントを求めて、間違ったらネットメディアが記事にして叩く。教育研究家にオネエ言葉で政治を語らせてどうするという話である。「押すなよ!押すなよ!」の世界だ。

もちろん専門家だって間違うことはある。1つの分野であっても、世界はそれだけ深く広いからだ。しかし、だからといって「素人の方が正しい」とはならない。ただ、誰もが間違うだけである。

なぜ日曜日の朝、野球しかやってこなかった人間の「喝」がサッカーに飛ぶのかという話である(最初と繋がったぞ)。

あそこは彼らに「分からない」と言わせない世界だ。「わかったふり」をしなければ、お金がもらえないのだ。仕事をしたと見做されないのだ。

皆さんの職場にもいないか?「わかったふりをして」語る偉い人々が。きっと、そうでなければ仕事をした気にならないのか、自分が偉いと思えないのだろう。

ただ、それは間違っている。

家本主審は「わかったふりをして」大きなリスクを生み出した。その事象は、「分からない」という態度を取れば完全に回避できたことだ。そこに間違いは絶対にない。結論を多少遅らせられれば、その時点での最適解に幾分近づける。

「分からない」ことにそんなに勇気が必要か?なぜそんな社会になってしまったのか?

こんなに宇宙は広く、人はこの狭い地球にある全ての国を回ることすら出来ない。知らないことが当然なのに、なぜなのだ?

さあ、僕と一緒に「わからない」といえる社会を作らないか。この日本わからない教に入れば、世界のすべてが見えてくるよ。フフフ。

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