「ジーパン」と「モリシ」から始まったサッカー人生
――サッカーを始めたキッカケはありますか?
千葉園子選手(以下略):キッカケはお兄ちゃんがやっていたのが大きいのかもしれません。その時はちょうど日韓W杯があって、小学校が一緒の友達にサッカーをやっている女の子がいて、誘われるようになりました。お兄ちゃんが野球をやっている時から一緒にキャッチボールをしていて、それが何かの拍子でサッカーに変わってからは一緒にボールを蹴っていました。
リフティングをしていると、やるたびに回数が伸びていくのが楽しくて。家の前でもずっとやっていて、その友達から誘われました。「やりたい!」ってお母さんに言っても、最初は「アカンよ~」って。「お願いお願い~!」って何度も頼んで初めて少年団のチームに入ったんです。
――それが小学校の何年生だったんですか?
3年生でした。そのチームに体験で練習に参加した時はジーパンで行っていて、全くサッカーをやる恰好ではありませんでした。「なにあのジーパンの子は?」って思われてたと思います(笑)
――そのチームには女の子はいたんですか?
それが多かったんですよ!小学校1年生から6年生を合わせると全員で25人ぐらいのチームだったと思うんですけど、その中に常に5人は女子がいました。
小学校と中学校時代の同期には、現在はノジマでプレーしているFW正野可菜子選手、オルカのMF岡野有里子選手がいて、一緒に日ノ本学園高等学校へ進学したので、“3バカ子”なんて呼ばれていました(笑)
後輩にもスフィーダ世田谷FCのFW須田綾香選手、今年からハリマでもチームメイトになったFW川原奈央選手もいたんです!
――凄い!しかも中学生の時は部活とクラブチームを掛け持ちしていたとも伺いました。
そうですね。中学校のサッカー部では、初めて女子を受け入れてもらいました。
中学の時の監督が、小学校の時の少年団のコーチをされていた人だったという縁もありました。数学を教えられていて、中学3年の時は担任の先生でもありました。
ちなみに、その先生の弟さんも少年団で大学生ながらコーチをされていました。米田孝(現:関西テレビ放送株式会社主任)さんと言いまして、フジテレビ系の連ドラ『僕たちがやりました』(窪田正孝が初出演)で初めてプロデュースをされた方なんです!
――その頃から憧れていた選手、好きな選手はいらっしゃいましたか?
小学校の時は地元だったのもあって、ずっとセレッソ大阪の試合を観に行っていました。森島寛晃さん(元日本代表MF/現:C大阪強化部門フットボールオペレーショングループ・部長)がメッチャ好きで応援していました。
なので、自分のチームの練習の時に紅白戦やミニゲームをするのに渡されるビブスも、“森島さんの8番”を貰ったら「ヨッシャー!8番や!」ってよく言っているぐらいでした。
――女子の選手では?
大学の時には杉田亜未選手(現:伊賀フットボールクラブくノ一のMF)が好きでしたね。今は仲良くしてもらっているので嬉しいです。
――攻撃でも守備でもボールのないところでも頑張る選手。森島さんも杉田選手も千葉選手もそれは共通しています。僕は何となく全盛期のウェイン・ルーニー(元イングランド代表FW/現・エヴァートン)かな?とも思っていました。
でも今は守備で頭パンパンですよ。どちらかと言うと、2年前や3年前の方が前から後ろまで全部守備に行っていました。
13得点した2015年のシーズンはずっとトップ下だったんですけど、その時は守備が全部マンツーマンだったんです。だから、マッチアップする相手選手が決まったら、あとは「どこまでも付いて行け」。マークする相手が裏に抜けようが、下がってボールを受けようが付いていかないといけなかったんです。
自分はバカなので、そっちの方が分かり易いですけどね。こういうスライドとかライン間の守備ってなると、頭がパンパンになってしまう場面がありますね。