率直にいってハリルの心中を想うと胸が痛む。しかしそれは義理人情、もっといえばセンチメンタルな感情論であり、客観的に見れば驚くべきことでもない。

今アジア予選が始まって以降の日本代表は厳しい戦いの連続であった。それでも2014年のアルジェリア代表のように、本番で大仕事をやってのけることがハリルの使命である、私はそう腹を括っていた。

ちなみに本番で結果を残せばいいという考えは、切り替えを得意とする欧米的な発想といえる。過程を重んじ、切り替えが苦手な文化・民族性を持つ日本人には、根本的に合っていないと感じる。しかしそれを承知の上で彼を選んだのだから、プロセスに目を瞑ってでも本番で大輪を咲かせるための種が蒔かれていればいい。

見事な試合運びで6大会連続ワールドカップ出場という「結果」を掴み取った昨年8月のオーストラリア戦は、その大きなモデルだった。ここまでは順調に任務を遂行したといえる。

しかし本大会に向けチームを作り直す道筋で進路を誤った。試合数が限られる中で基礎を固められず、習熟度の低い選手たちは不甲斐ない戦いをすることで案の定、次第に自信を喪失し、本大会が迫る重圧もあって指揮官に対する信頼も揺らいでいった。

ハリルの戦術眼や分析能力を評価する声は大きいが、マネージメントも指導者として重要な仕事である。どんなに理論が優れていても組織がそれだけで回らないことくらい、今日、社会人1年目の若者でも知っている。

今年の春は気温が高く、桜は早々に満開を迎えたが、ハリルの蒔いた種はロシアの地で開花を迎えることはおろか儚く散ることさえ叶わない―――協会はそう判断したということであろう。

根本的な問いになるが、ワールドカップで結果を残すことと、サッカー界が発展することはイコールではない。経済的な成功や文化的な広がりを望むなら、親善試合でも十分達成できるし、本大会で結果を残したからといって競技レベルが向上するわけでもない。ハリルに導かれベスト16を達成したアルジェリアは、今回、予選で敗退している。現在の彼らに何が残っているのだろうか。

田嶋会長は、確かに一人の男の顔に泥を塗った。首をはねたのだ。もし本大会で結果を残せなかったとき、彼は腹を切らねばなるまい(もちろん比喩的な表現である)。しかし、あらゆるものを捨てて、誰からも批判されることを理解したうえでこの決断を下したのだから、それは尊重されるべきである。

(編集部H)

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