ポール・ガスコイン
ガスコインが1988年にマンチェスター・ユナイテッドへ移籍することを決断していたら、彼の人生は大きく変わっていたかもしれない。アレックス・ファーガソンはアルコール依存症のポール・マクグラスと対立していたという現実もあるが…。
とにかく、トッテナムがガスコインの家族に家と日焼けマシンを提供したことで彼はホワイト・ハート・レーンへ行った。
EURO1990でのパフォーマンスのおかげでガスコインはヨーロッパ最高のエキサイティングな選手となったわけだが、引退後は…。彼は常に反実仮想の物語を提供してくれている。
ジェイ=ジェイ・オコチャ
ナイジェリアからイスタンブール、パリ・サンジェルマン、そしてボルトン・ワンダラーズへ。オコチャのキャリアはかなり変わっている。
トリッキーな攻撃的MFはサム・アラダイス監督が必要とするタイプではなかっただろうが、「クラブの最高の選手だ」と賛辞を惜しまず、その下でオコチャは繁栄した。
間違いなく彼は他の大きなクラブに移籍することが出来ただろう。しかし、ファンにとってのレジェンドになることができ、ピッチの上で自由を得ることは出来たはずだ。