━━その後はブラジルにも行ったようですね。
「ブラジルのクラブを知っている」という日系ブラジル人の方を紹介してもらって、そこから話が進んだんです。
タイを中心に移籍先としてアジアを考えていましたが、「ブラジルでサッカーができるのであれば、お金が下がっても、ステップアップになるし、移籍候補としてはいいな」と考えました。
でも、これがまた上手くいかなかった…。現地で日系ブラジル人の方がパートナーのブラジル人に騙されていたんです。
自分でブラジル人のエージェントと話をして気付いたんですが、ちょくちょくその人がお金を要求してくるようになったんですよ。
実際にブラジルのクラブに行ってみても、クラブはその紹介してくれた人のことを全く知らないようで…。クラブの好意でユースチーム用の大部屋を使わせてもらったんですが、しばらくは「どこかブラジルのクラブに入れないかな」と色々と自力でも探しましたね。
でも、見つからないまま、三か月のビザ期限が近づいて…。
━━それからはどのように動いたんでしょうか?
まず、ここで考えが大きく変わりました。
自分の知識不足もそうですが、ベトナムしかり、ブラジルしかり、「やはり、誰かに頼っているだけではダメだな」と感じていましたが、「エージェントや周りの人に任せきりになるのではなく、成功、失敗含めて行動と選択の全ての責任を自分で持たないといけない」と強く思うようになったんです。
それで自分のプレゼン資料を世界中のクラブに直接送るというスタイルを始めました。
━━ここまでの経験が動き方を変えたんですね。
その次の移籍先となるラオスも、世界中でプレーされてきた伊藤壇さんがTwitterで「ラオスのチームがアジア人を探しているよ」とツイートしているのを見かけて、「じゃあ、連絡してみよう」と動いたことによるものでした。
Facebook上でそのラオスのチームとやり取りをしていったら興味を持ってもらえて、「テストに受かったらブラジルからの飛行機代もチームが出すよ」と言ってもらえたんです。そして、最終的に契約も掴みました。
━━これまでには考えられないほどのスピード感ですね。
そこで改めて「自分で動かないといけない」と感じましたね。
それまではサッカーの中のことだけ考えて、それこそ移籍の仕組みとかも全然わからなかったんですが、結果的に色々なトラブルを経験して、良かったと思います。