宮本 恒靖

日本サッカー界の“頭脳明晰”な選手の一人として真っ先に思い浮かぶのはこの男であろう。

同志社大学出身、後に「FIFAマスター」にもなった学力を持つ秀才は、プロ選手としては恵まれない体格ながらその頭脳を生かし、常に考えるプレーで日本のレジェンドにまで上り詰めた。

2002年日韓共催のワールドカップ前には鼻を骨折したが、黒いフェイスガードを着用してチームを牽引。その姿から「バットマン」と呼ばれ、一躍時の人に。

また、PK戦にもつれ込んだ2004年アジアカップのヨルダン戦では、ピッチの悪さを理由にエンドの変更を主審に要求。その後の奇跡的な逆転勝利を呼び込むなど、卓越したリーダーシップも発揮している。