国際大会で躍動も、ケガによる挫折

順風満帆にプロへの道を歩んでいたが、ケガによって苦境に立たされた。

中学3年の夏に腰椎分離症を患い、同年秋に利き足の右足腓骨を骨折。そのためユース昇格後は新チーム始動に出遅れたが、高校1年の終盤に迎えた世界大会では輝きを放った。

カタールで開催されたアルカスカップ・ベンフィカユース戦で見事なボレーシュートを突き刺した。「世界中のスカウトが集まる大会で爪痕を残せれば」と大舞台で結果を残した。

だが次戦のアスパイア戦で右手首を骨折。2年時の始動も出遅れ、3年になるまでBチームで過ごした。天国と地獄を味わった司令塔は最終学年で巻き返しを図るも、トップチーム昇格は叶わなかった。

「大学進学は考えていなかった」とJ3ガイナーレ鳥取の練習に参加したが、念願の高卒プロ入りを果たせなかった。高校卒業後は東北の雄・仙台大へ進学し、新天地で夢を追った。

大学では優れた技術とインテリジェンスの高さでポジションを確保。課題だったフィジカル面の弱さを克服するため、筋トレを重ねて肉体強化に励んだ。

1年から試合に絡み、2年時はJ2横浜FCとの天皇杯2回戦でFKから先制点をアシストするなど確かな足跡を残してきた。だが2年の終盤に世界的な新型コロナウイルス感染拡大により、3年時は活躍の機会が限られた。

その影響もあってプロ入りの登竜門といわれるデンソーカップの東北・北海道選抜の選考漏れに。スカウトにアピールする機会を奪われたが、ひたすら前を向き続けた。