――復活するターニングポイントになった試合やタイミングは?

ターニングポイントになった試合は間違いなくヴィッセル神戸戦で起用してもらった時だったと思いますね。

多分あそこでチャンスをもらえて、結果は出なかったんですけど、自分なりのパフォーマンスというのを見せることができて、あそこがターニングポイントになった一つの試合なのかなと思います。

――以前と意識は変わった?

あまり個人的にというよりもチームとして、まずこの大会を勝ち取りに行く。その中で、自分は一つのピースに過ぎないと思っているのでこの代表のためにプレーしたいなという想いもあります。

10年間いろんなこともあって、自分なりに苦しい経験も本当にして、そういう苦しいところから這い上がっていく姿(を見せたい)。

この期間中にも…それこそ武藤嘉紀選手(ヴィッセル神戸)だったり、怪我をしてしまって、今回代表に来れなくて悔しい思いをしている選手もいるでしょうし、そういう選手たちの想いも背負ってというかプレーをしていきたいと思います。

――この10年間で人間的に成長したことは?

幾つかあるんですけど、一番は10代でプロデビューしてすぐに起用してもらって、代表にも入って、すごく自分の中で大きな理想を描いていたというかそういう10代でした。

(だけど)いろんな経験を経て、あまり先を見なくなったというか。(ケガで)歩けなくなって、歩ける喜びとかも知って、1日1日に感謝できるようになっていった。

本当に次のトレーニング、次の試合。「5年後こうなっていたい」とか「10年後こうなっていたい」みたいなのが10代の頃はあったんですけど、今はより現実的になりました。

「1日1日を大事にしていこう」っていうマインドに変わったのが10代と比べて大きく変わったところかなと思います。

あとは本当の意味で感謝ができるようになった。サッカー選手として当たり前にプレーできるのは本当に周りの支えがあってのことだとすごく感じているので、感謝の気持ちを持ってプレーしていきたいなと思います。

――「大きな理想」というのは具体的に?

代表というよりも18歳でアーセナルに行って、アーセナルでトップに上り詰めたいって想いが当時はありました。

でも日本代表に入っても周りのアーセナルの選手はもう代表のエース格だったので焦りもあって。幸せに思えてなかったというかすごく焦りもあった10代だったと今振り返ると思います。

そんな理想を持ってた10代だったんですけど、今はそういうマインドもちょっと変わってきたというか、さっきも言ったように感謝しながらプレーできているので、今回エンブレムをつけさせてもらって誇りを持ってプレーしたいと思います。

――ケガの中でもサッカーを楽しめるようになったタイミングは?

膝の前十字靭帯を3回目損傷した時にドイツで「このまま手術をしたらもしかしたら引退をしないといけないかもしれない」っていう話をされました。

ちょうどその時期に契約も切れる段階で、「このままもう自分のキャリアが終わってしまうんじゃないか」っていう時もありました。

そういう経験から、プロ選手として当たり前にやれることは当たり前じゃないんだなっていうことを身をもって体験してから、本当に日々に感謝できるようになりました。

試合に出られない時期もありましたけど、サッカー選手としてやれているだけでも幸せなんだっていうところは感じてたので、そういう時にポジティブに取り組めていったと思います。