かつて日本代表としてプレーした細貝萌は現在、自身の地元であるJ2のザスパクサツ群馬でプレーしている。

浦和レッズで頭角を現した彼は、2011年にドイツの強豪バイエル・レヴァークーゼンと契約。その後アウクスブルク、ヘルタ・ベルリン、トルコのブルサスポルやタイのブリーラム・ユナイテッドなど世界を股にかけて活躍した。

日本代表では長谷部誠、遠藤保仁という高い壁に阻まれワールドカップに出場することはできなかったが、彼ほどの経験値を積んでいる日本人選手はそれほど多くないだろう。

36歳になった現在、彼はどのような想いを抱いてプレーしているのだろうか。インタビューの後編では、日本代表や群馬に帰ってきた経緯などを聞いた。

――日本代表のお話を聞かせてください。ハリルホジッチ監督の時代に「デュエル」という言葉がフィーチャーされるようになりましたが、細貝選手はその「デュエル」に関して日本人の先駆者的な存在だったようにも思います。ドイツ時代のインタビューでも「ツヴァイカンプフ」という言葉を語っていましたね。

ドイツは試合も激しいんですけど練習も激しいんです。例えば日本人の(体重)70kg同士でぶつかるのと80kg同士でぶつかるのとでは迫力が違うわけで、単純にまずそこがあるのかなと思います。

球際に関してはかなり言われることではありました。ドイツに行く前から聞いていましたが、実際に行って改めて「こんなに違うんだな」と。日本人の欧州組は基本的に前目の選手が多いんです。長谷部さんはボランチとか右サイドハーフとかやってましたけど、僕の前だと香川真司、僕らの後だったら清武、乾、大迫、原口(元気)、浅野(拓磨)、今で言ったら三笘君とか伊東純也、堂安君とか。

僕はどちらかというと“守備的ボランチ”として行ったのでやりがいはすごくありました。(過去に)稲本さんとかボランチの選手もいましたけど当時は周りに多くなかったので。

「ツヴァイカンプフ」はドイツ語で球際とか対人という意味なんですけど、(香川)真司とかってそもそも対人を避けられるくらいの能力があって活躍してたと思うんですよ。もちろん対人も強いんですけど。僕らは守備的な選手で、対人を「仕掛けていかなきゃいけない側」なんで。そこはすごく自分でも意識してプレーしてましたね。

――細貝選手といえば2011年のアジアカップ優勝。準決勝の韓国戦で本田圭佑選手が蹴ったPKのこぼれ球を決めました。振り返っていかがですか?

浦和の頃からPKのこぼれ球は狙っていました。以前からああいうふうに助走を付けて狙うようにしてたんです。あの試合、あの場面でこぼれてきたっていうことに関してはすごく価値がありましたね。本当に継続してたことが形になったものだったので。

僕も今まで何度もこぼれに詰めてきたんですけど、当然あんなの基本的にこぼれてこないですよ。PKを蹴る(本田)圭佑がどっちに蹴るかなんて知らないんで。当たり前ですけど(事前に)聞かないじゃないですか。キーパーが弾いて逆にこぼれたらそもそも間に合わないし。

あれはもう運でしかないです。でもその運を継続してたから掴んだことに関しては、本当に良かったなと。素直にあのシーンに関しては「やってきてよかったな」って本気で思っていますね。