J3参入失敗と頼もしい後輩

加入シーズンは苦難の連続だった。新型コロナウイルスの世界的な感染拡大により、リーグ戦の試合数が半減した。科学的根拠に基づいたトレーニングを売りにするいわきだが、感染対策などにより満足いくトレーニングも制限されることに。Jリーグ参入を逃すも、頼りになる後輩の加入や自身の活躍などにより、加入2年目でチームの悲願を達成した。

――昇格に向けて大事だったソニー仙台戦で惜しいシュートを外しました。あのときすごく悔しがっていたことを覚えています。

相手が仙台というのもあって、日ごろ練習試合もしていた。(仙台大で同期だった吉野)蓮が(対戦相手に)いるので、個人的に絶対負けたくない試合でした。

チーム的にも絶対落とせない試合で、自分に決定機が3、4回ぐらいあった中で1本も決められず、最後もシュート外して負けたので…。

あの試合から2、3週は引きずっていたし、いままでの人生でこんなに引きずることはなかった。いまでも1番覚えています。

――その後JFLからJ3には参入できませんでした。当時を振り返ってどうでしたか。

最後(テゲバジャーロ)宮崎に負けてJ3に行けないとなったとき、いろんな人が泣いていたんですけど…。もちろん悔しかったけど、何か物足りないというか。言葉が難しいですけど、昇格に相応しいチームだったかと聞かれたらそうじゃなかったと思う。

その年JFLに上がったってことで、チームのトレーニングの量をすごく減らしてサッカーだけに集中してやる方針になった1年でした。

そこで昇格できなかったときに、社長と監督の(田村)雄三さんが「いわきは筋トレしないと駄目だろ」となって、次の年からシーズン中でも筋トレの量を増やして、きつい日々を送った結果優勝できました。

いま考えたらやっぱり(昇格に)相応しくなかったし、いわきっぽくない1年だったと思います。

――翌シーズンに仙台大の後輩だった嵯峨理久選手がいわきに入団しました。

理久がもしかしたら来るかもってなったときに、個人的にも来てほしかったし、また一緒にやりたいという想いは強かったです。

チーム的にも「来たら絶対使えます」と自分も言っていました。チームを通してゴリ押していたんですけど(笑)。理久のことを考えたら「もっと上へ行った方がいいでしょ」ともちろん思ってはいたんですけど、一緒にやりたかったからそういうことはあまり言いませんでしたね。

一緒にやれて良かったですけど、正直もったいないとは思っていました。

――複数のJリーグクラブからのオファーを蹴っていわきを選んだ嵯峨選手の加入は大きかったですね。

上のカテゴリーに行くことが全部正しいわけではないですけど、もちろん(上に)行きたがることは当たり前だと思います。そこでわざわざ下のチームを選んで環境や筋トレにフォーカスしたことは、すごく勇気が必要だったと思うのですごいと思います。

――このシーズンはJFLを優勝してJリーグ参入を決めました。振り返っていかがでしたか。

チームは負ける気がしないというか、「いわきのサッカーやれば勝てるっしょ」みたいな感じのシーズンでしたね。

個人的にはすごく悔しい気持ちが強くて。特に最初の方は開幕戦までずっと試合に出ていたのに急に外されて、そこから4、5試合で10分、20分しか出られなくて…。反骨心みたいなものが結構強かった。