Jリーガとなって芽生えた決意

J3参入を決めた岩渕はプロサッカー選手としての決意が芽生えた。故郷岩手への思い、ホームタウンいわきへの決意、Jリーガーとしての覚悟などを口にした。

――J3参入が決まったときはホッとしましたか。

途中から負ける気がしなかった。「こんなに筋トレして練習やったらそりゃ勝てる」みたいな。

他のチームは(練習外で)仕事をしているし、俺らだけプロとしてやっているから、正直JFLで優勝したときは「やった」というよりは「優勝して当たり前でしょ」みたいな感覚だったと思います。

――プライベートの話になってすみません。Instagramなどでたまに実家のストーリー(短時間の動画投稿)で実家の映像が映るときがあります。牛を飼っているような映像がありました。

そうですね。実家は農家です。お父さんの方の実家ですね。

――大自然が広がる一関に帰郷するとリラックスできますか。

お父さん方の牛を飼っている実家は、年に2、3回しか行かないんですけど、帰ったらいまでもすごく喜んでくれます。97、98歳のひいばあちゃんがいて、帰ればまだ名前も覚えてくれたりして。

高校のときから親元離れて寮生活だったので、そういう部分では年に2回しか帰れないので、帰ったときはすごくリラックスできます。携帯を見ない生活をするときもあります。

――岩渕選手は遠野高校OBでは唯一の現役Jリーガーです。岩手県で頑張っている中高生、大学生の選手たちが多くいます。後進にとってどういう存在でいたいですか。

やっぱり下の高校年代で全国大会に出ても毎年1、2回戦で負けてしまう岩手なんですけど…。もちろん強くならないといけない部分あるけど、岩手県民は高校を卒業するタイミングでサッカーを辞める選手が8、9割いるんですよ。

続ける選手がほぼいない状況なんです。サッカー選手になりたいという夢があるんだったら、大学でもあきらめずにやれば絶対道はあると思うんですよ。自分もそうだったので。

Cチームスタートだったので、大学に入るときも「絶対無理」と思っていた。やめる人が多すぎることが岩手の課題だと思います。

――それでも岩手の富士大が東北勢で初めて総理大臣杯優勝など、少しずつ状況は変わりつつあります。岩渕選手はあきらめない姿勢などを岩手の選手たちに見せたいのでしょうか。

そうですね。やっぱり東北人、岩手県民は粘り強い部分は絶対持っています。好きならあきらめずやった方が絶対何かしら可能性は開けると思う。

そういう部分では岩手県出身のJリーガーがすごく少ない。どんどん活躍して(刺激を受けた)高校生にもっと卒業してからも続けてほしいと思っています。

――Jリーグに参入して、DAZNに映るようになりました。親御さん、親戚さん、友達からの反応はいかがでしたか。

JFLのときも親は岩手から試合を見に来てくれました。親戚や友達にも見られる状況になったことはすごくうれしかったし、毎試合勝った後に連絡が来るようになったときはすごくうれしくて、「プロだな」と感じたりしました。見られているからには、成長した姿を見せたいとも思っていました。

――プロサッカー選手になって、いわきの子供たち、サポーターに対してどのような存在になりたいですか。

いわきのホーム試合はすごくたくさん子供たちがいます。活躍したら子供たちはすごく素直だから覚えてくれるし、好きになってもらえるんです。

自分も小さいころにサッカーを始めたときに、テレビで見る選手にすごく憧れてサッカーをやった部分があります。

特にいわきにいる以上、いわきの子供たち、サッカーをやる人、サッカーをする子供たちから目標とされる存在、憧れられる選手になりたいですね。