筆者は2017年に女子サッカーから取材活動をスタートしたが、当時なでしこリーグ2部の愛媛FCレディースを率いていたのが、川井監督だった。

攻撃時と守備時でフォーメーションを変える可変システムを完成度高く運用していた愛媛Lは、国内2部のクラブながらFW上野真実(サンフレッチェ広島レジーナ)とFW大矢歩(バニーズ群馬FCホワイトスター)の2人がなでしこジャパンに招集されるなど、チームを率いる川井監督は戦術家の一面と共に選手育成の面でも確かな手腕を発揮していた。

「愛媛の時から信頼して使い続けていただいているので感謝していますし、『2点取られても3点取れ』と考える攻撃的なサッカーを志向する健太さんが指揮するチームでプレーしたいと考えていました。

そうは言っても、愛媛の時から個人的に話をすることはあまりないんですけどね。僕は去年の今頃、2度も退場処分になったんですが、その時も特にお咎めはありませんでした。微妙な判定だったので仕方なかったんですけどね。

ここ最近はロッカールームで熱いゲキが飛んでいるのがクラブ公式YouTubeを通して伝わっていますが、珍しいことだと思います」

「プロサッカー選手になるために」広島へ“越境”

山梨県甲府市出身の長沼は8歳からサッカーを始め、当時はバルセロナで一世を風靡したブラジル代表のファンタジスタ=ロナウジーニョに憧れた。

中学時代は地元・甲府市の強豪Uスポーツクラブで活躍。高校からは広島へ単身で“越境”。Jユース最強を誇る名門サンフレッチェ広島ユースに加入した。

「多くのクラブからユース選手としてのオファーをいただき、最終的には2クラブに絞ったうえで練習参加もしました。

練習参加自体は1週間ほどでしたが、広島のスタイルや先輩方とプレーした時のサッカー的な感触がとても良く、プロサッカー選手になるための環境面もすごく良かったので広島に決めました。

実家から離れることは特に意識せずに決めましたね。親にも相談はしていましたが、僕の意見を尊重してくれました」

――ただ、長沼選手が加入するタイミングで広島ユースの礎を作ってきた森山佳郎監督(現ベガルタ仙台監督)が退任されました。

「ゴリさん(森山監督)が広島ユースに根付かせた『気持ちには引力がある』という合言葉が有名であるように、育成年代のスペシャリストであるゴリさんの存在は僕が山梨でプレーしていたクラブの指導者の方々からも、とても良い評判を聞いていました。

広島の練習に参加した時はゴリさんが監督だったのに、加入を決めたあとに退任されることを聞いたので、その時はさすがに『えっ?』って、なりました。でも、広島には『プロサッカー選手になるために』という強い覚悟をもって行くことを決めていたので、大きな影響はありませんでした」