サッカー元日本代表のレジェンド、本田圭佑が自身を育てた家族の教育方針について語った。
本田は、石橋貴明と三田友梨佳をMCにして新たに始まったスポーツブルの配信『石橋とアスリートが盛り上がって三田』に第一回のゲストとして登場し、これまでのキャリアを振り返った。
ガンバ大阪ユースの昇格には失敗したものの、その後星稜高校で活躍し、2005年に名古屋グランパスでプロ入りした本田。2008年にはオランダのVVVフェンロへ移籍し、海外挑戦も果たした。
立ち止まることのない本田のキャリアに対し、石橋は「ビジョンに向けてガンガン進んでいっちゃうんですけど…」と唖然。三田も「15歳の頃から自分を客観的に見て、自分のビジョンをはっきり持っているのが凄い」と感想を述べた。
続けて三田が「その自信とか考え方は何がきっかけだったんですか」と質問すると、本田は自身の家族について語り始めた。
「良くも悪くもちょっと変わってた家族から育てられたと思ってます。祖父母、父親あたりの教育なんですけど普通ではなかった。厳しかったですし、ただ厳しいだけじゃなくてちょっとユニークさもあったりで。総合的に本田家というものがものすごく…当時僕の時代ではちょっと考えられないような教育環境に置かれていたなと。僕も兄もそうですけど」
「『何をやってもいい』と言われてたんですよ。『別にサッカーじゃなくてもいい』と。サッカーをやれなんて一言も言われたことがなくて。『何をやってもいいけどやるなら世界一になれ』ということはずっと言われていました。これだけ聞くとそういう親もいるんじゃないかと思うかもしれないですけど、逆にそれ以外言わない。一番になるならそれでいいと。『一番以外、二番はベッタ(ビリ)と一緒だ』ということだけを言われていたので。『二番は無価値なんだ』と(思った)。極端じゃないですか(笑)」
さらに本田は、2008年の北京オリンピックに出場した際のこんなエピソードも明かしている。
「オリンピックも僕の家族だけ来ていないんですよ。北京オリンピックに出させてもらって、全選手の家族が来てたんですけど僕の家族だけ…。
僕ちょっと遠い親戚がオリンピックに出てる方が多いんです。祖父の弟さんがカヌーでオリンピックに出ている。その息子さんがレスリングでオリンピックに2回出ているのかな?だから僕がオリンピックのメンバーに選ばれた時に『お前3人目だから行かへんよ』って言われたんですよね。珍しくもないと。
あとまあサッカーは事実上U-23の大会なので。『フル代表で世界一を争う大会ではない』という評価は本田家の中にはあって。『W杯は行くけどオリンピックは行かへんから』という話でしたね」
オリンピックはアスリートにとって4年に一度の晴れ舞台。人生を賭けて出場権を勝ち取った選手たちは、世界で躍動する自らの雄姿をみてもらおうと家族を現地に呼ぶのが一般的だ。
2008年北京オリンピックでも本田以外の全ての選手は家族を招待していたようだが、本田家の場合は、親族が複数回オリンピックに出ていることもあり誰も見にこなかったようだ。
非常に厳しい環境に育った本田だが、「厳しい軸がうるさいほうの厳しさじゃなくて“基準の厳しさ”だった」と語り、それが自身の常に高みを目指すメンタリティに繋がったと考えているようだ。