サッカー界には時おり、本名とは別の愛称でファンやメディアから親しまれる選手が現れる。
今回はそのような二つ名を持つ日本人サッカー選手を紹介していく。どの選手たちも、愛称にふさわしい魅力を持ったすばらしい選手たちばかりだ。
中山雅史
2024年明治安田J3リーグでは、アスルクラロ沼津の監督を勤めている中山雅史監督。現役時代はFWとしてゴールを量産し、ジュビロ磐田や日本代表などで活躍した。
「ゴン中山」や「ゴン」の愛称で親しまれており、熱意のこもったプレーで多くのファンに親しまれた。筑波大学サッカー部時代につけられたというこの愛称は、TV番組「オレたちひょうきん族」でお笑い芸人のビートたけし氏が演じたキャラクター「鬼瓦権造(おにがわら ごんぞう)」に、当時の中山が似ていたからだとされている。
釜本邦茂
1968年のメキシコ五輪では7得点を挙げてアジア人初の得点王に輝いた元日本代表の釜本邦茂氏。生粋のFWとしてゴールを量産し続け、A代表として76試合に出場し75得点を挙げていた。この数字は2024年現在も日本代表における歴代得点ランキングのトップとして、未だ破られていない。
日本サッカーの創生期を支え、世界にその名をとどろかせた釜本氏は「サムライ・バズーカ」と呼ばれるようになった。
伊東純也
現日本代表FW伊東純也は、「イナズマ純也」という個性的なニックネームを持っている。
きっかけは、元日本代表の松木安太郎氏がワールドカップ(W杯)アジア最終予選で4試合連続ゴールを決めた伊東を「イナズマ純也」「イナズマくん」と呼んだことに由来している。当の本人も「イナズマという響きは好きですね」とこの愛称を気に入っており、それ以来ファンの間でもこの愛称で親しまている。
奥寺康彦
1970年に相模工業大学附属高校から古河電工に加入すると、持ち前のスピードと左足から放たれる強烈なシュートで日本代表にまで登りつめた奥寺康彦氏。1977年にブンデスリーガの1.FCケルンに加入すると、ドイツの地で確かな技術を発揮し、地元ファンからは「東洋のコンピューター」と呼ばれた。
現在では当たり前となった、日本人が欧州を目指す流れの礎を築いた日本サッカー界のレジェンドだ。
福田正博
J1浦和レッズのサポーターにとって、「ミスター・レッズ」と呼ばれた福田正博氏は同クラブにおける象徴的な存在の一人だ。
Jリーグ開幕前にあたる1989年から浦和(三菱自動車サッカー部)に在籍し、引退した2002年まで現役生活を同じクラブで過ごしたワン・クラブマン。引退後は解説者やコメンテーターとして活躍している。